ドラコ・マルフォイの幸せな誕生日
「次の週末、一緒にホグズミートに行こうよ。」
突然の誘いにドラコは目をしっかり三度瞬いた。
学年末の試験も終わった。人気のない湖のほとりで木に寄りかかって並んで座っていた時の出来事だ。
「どういう風の吹きまわしだ?」
恋人からのデートの誘いに喜ぶでもなくドラコは怪訝な顔をした。甘さに欠ける反応だがそれも無理はなかった。
彼らが恋人という関係になって、そこそこの年月が過ぎていたが、未だに逢瀬と言えば人気のない場所で一緒に時を過ごすくらいのものだったからだ。
それもこれも気が付けばトラブルの渦中にいるハリーのせいだ。
眉根を寄せるドラコにハリーは緩く微笑んだ。彼が喜び勇んで申し出を受けるはずがないと予想していた。
「せっかくだからさ、一回くらいしてもいいかなって。」
「一回とはなんだ、これからずっと僕と出かけるつもりがないのか。」
「言葉の綾、言葉の綾」
ハリーはひらひらと手を振ってドラコをいなした。彼は不服そうに顔をしかめていたが、やがて
「……構わない。」
と了承した。
好いた少女からの誘いを年頃の少年が断れるわけがなかった。不承不承の態度を取りつつも、ドラコの耳は薄く色づいていた。
ハリーはその照れくさそうな様子に満足して、少しだけ開いていた互いの距離を詰めた。
「決まりだね、楽しみだな。」
ことりと肩に乗った彼女の頭に、ドラコはどぎまぎと地面に座りなおした。自分の顔にほど近い場所に彼女のつむじがあった。
初夏のガラス玉のような陽が、黒い巻き毛に反射してつややかに光った。
芝生をそよ風が撫でてさわやかに走っていく。
さわさわと水面が波立って、その平和な光景にドラコはしばし目を細めた。
そしてデート当日。ドラコは平静を装って待ち合わせ場所に立っていた。
今日の彼の格好は細身のチノパンに白いVネック、その上に薄手のカーディガンを羽織っていた。シンプルな組み合わせだが、しっかりとしたつくりのベルトがメリハリをつけている。
「おまたせ。」
背後でハリーの声がした。
ドラコは日差しを遮るためにかけていたサングラスを胸元に引っ掛けた。彼の色素の薄い瞳には、六月の眩い太陽が少しキツい。
「あ、かけててもいいよ。眩しいでしょ?」
ハリーが気遣うように言った。ドラコは短簡に首を振って断る。目が光に慣れるまで少しかかったが、ようやくハリーをしっかり見られた。
彼女は見慣れぬ服を着ていた。いつも、パーカーにジーンズ、Tシャツにジーンズ、といった出で立ちをしている彼女と同一人物とは思えないほど、少女らしい装いだった。ライムグリーンのシフォンブラウスに、少しくすんだ薄紫のキュロットを合わせている。動くたびに爽やかな果実の匂いが香りそうだった。
「ハリーが普通の服を着ている……」
衝撃のあまり、ドラコは口を滑らした。可愛らしい少女は一瞬でしかめ面になった。
「なに?どういう意味?」
喧嘩機能が標準装備である互いだとはいえ、ドラコも今日ばかりはそれを避けたい。大急ぎで取り繕う。
「いや、失礼…?あまりに似合っていたものだから。」
「え、そう?ふふ、ありがと。……最初からそう言えよ。」
しかしドラコの麗しい作り笑顔にもハリーは絆されず、愛らしく微笑んだのち、彼をねめつけた。
あわや喧嘩に発展するかと思いきや、ハリーはすぐに眉間のシワを解き、ドラコの手を握った。
「ま、いいや。今日は忙しいしね。行こうか。」
忙しいとはどういうことか、ドラコが問いかける隙も与えず、彼の腕を引いて歩き出す。
「あ、わ、どこに行くんだ?」
急に引っ張られたドラコはタタラを踏みながらハリーに着いていく。
「うーん、秘密ー。」
ハリーが楽しそうに言った。
弾む足どりに、空気を含んで軽やかに彼女の巻き毛が揺れる。ドラコはつい視線を奪われた。
夏休み間近のホグズミートは生徒でごった返していた。皆、家族へのお土産を買ったり、しばらく会えなくなる友人と陽気に騒いでいる。
誰も彼も、自分の楽しみに手がいっぱいのようで、ドラコとハリーに注目するものはいなかった。
ドラコは気を取り直して、ハリーの手を握り返した。どうせなら楽しんだほうがいい。何やらハリーも素直に接触を許してくれるし、いつも気恥ずかしくてしないことをしようと思った。
ハリーの小さな掌でくるりと円を描くように自分の手を回した。手の平同士が合わさるように向きを変え、指を絡める。
細いハリーの指がドラコの指間に入り込んだ。
「ァ……」
まさかドラコがそんな積極的に接触してくると思っていなかったハリーが唖然とした。
「?」
やけに大きな反応にドラコは小首を傾げた。
だが、ドラコがハリーに問いかけるより先に、賑やかな声が割り込んできた。
「よぉ、マルフォイ。」
同学年のグリフィンドール、シェーマスとディーンだった。
「本当はお前なんか祝いたくないけど、ハリーが頼むから祝いに来てやったぜ。」
シェーマスがニヤッと意地悪く笑いながらドラコの肩を小突いた。
「ん、まあ今日ばかりは禍根なく、僕もおめでとうを言うよ。」
ディーンも肩を竦めて仕方なさそうに笑っている。
「僕たちは二人寂しく、母親の土産調達だっていうのに、君たちはデートなんてな。」
シェーマスが大袈裟に空を仰いだ。
「ハイこれ、僕たちから。楽しんでね。」
ディーンが懐から拳大の包みを取り出して、それをドラコに渡した。
突然友人ともいえない同級生から誕生日を祝われて、ドラコは正しく処理落ちしていた。
固まっている彼の手にディーンは無理やり包みを持たせた。
ギュッと握り込まされて、ドラコはようやく我に帰った。
何か言わなくてはと焦ったが、いつも滑らかに回る口がうまく動かない。
「……暇なのか?まあコレはありがたく受け取っておく。」
と言うのが精一杯だった。
「二人とも、ありがと。」
ドラコの隣でハリーも礼を言った。
二人はハリーに笑いかけバシッと彼女の背を叩くと、そのまま前方に進んでいった。
人混みに紛れての出会いだったので、瞬きの間に彼らの姿はかき消えた。
「もしかして、今日はずっとコレが続くのか?」
ハリーの奇妙な態度と、今の不可解なプレゼント。点と線を繋げたらドラコの頭はありえない答えをはじき出した。
「せーかい!もう少し秘密にしたかったのに、察しがいいなぁ。」
あっけらかんとそう曰うハリーにドラコは顔が熱くなるのを感じた。喜びではなく、怒りと羞恥によってであった。
「僕はこんなの望んでない。」
きつい調子でドラコが言った。
「嘘、友達に誕生日祝ってもらったことないって言ってたの、忘れてないよ。」
「別に祝って欲しくて言ったんじゃないさ。」
心からそう思っていた。だけどハリーはグリフィンドールらしい傲慢さで聞く耳を持たない。
「はいはい、それじゃあ今日は僕のわがままに付き合って。」
あからさまに不機嫌になったドラコをハリーは涼しい顔で引っ張った。今度は通りを抜けて、一等混雑しているハニーデュークスに連れてこられた。
店に入りきらない生徒たちが、道端に溢れている。蛙チョコレートのカードを盛んに交換している低学年の集団もいた。ドラコもかつてはカード収集に熱中していた。
少し懐かしく思う。父親に見つかって燃やされてしまった苦い記憶も同時に思い出した。軟弱な魔法使いのカードなど持っているだけで恥だと言われた。ドラコは黙って父親の言われるままになっていたが、本当はいつかカードになるような魔法使いになりたいと思っていた。
おそらくあの頃からドラコは転機を待っていたのだ。その転機は今ドラコと手を繋いでキョロキョロと誰かを探していた。
「あ、いたいたー!ローン、ハーマイオニー!」
自らの親友の名を呼びながらハリーは恥じらいもなく大きく手を振った。
店のすぐ脇で何やら話し込んでいた男女がハリーたちの方を向いた。
「ハリーやっと来たな。」
「待っていたわよ。ちゃんとプレゼント持ってね。」
近づいてくるハリーにロンが手を振り、ハーマイオニーがウィンクした。
ドラコはハリーに掴まれている手を強く引いて抵抗してみたが、彼女の手は意外なほどしぶとかった。諦めてハリーの為すがままに任せた。
「今年は色々世話になったともいえなくもないからな。コレはその対価ってことで」
予想外なことに、ロンのプレゼントの包みには本屋の名前が印字されたいた。おおよそ彼らしくないチョイスだ。ハリーが目敏く興味を持った。
「なにこれ、本?ロンが?」
「ハリー、君が僕にどう言う印象を持っていたかは知らないが、僕は先人に学ぶ男として生まれ変わったんだ。」
ロンは勿体ぶりながらそう言った。まるでパーシーみたいだ。
「なんの本?」
一旦気になり出すと止まらないハリーが追求したが、彼はその手をひょいと掻い潜り、包みをドラコの小脇に挟み込んだ。
不躾な接触にドラコは気色ばんだ。だが、耳元に囁かれたセリフに思い直して、より強く包みを握りしめた。
(ハリーに絶対見せるなよ。)
見られてまずいものを渡すんじゃないとドラコはロンを睨みつける。抵抗せず受け取ったのは単に親友であるハリーにも見せられないロンの贈り物が気になったからである。これから先険しい道を行くハリーのための何かしがだと思ったのだ。
「私からはコレね。」
ハーマイオニーが用意したものも本だった。二冊まとめてリボンで縛ってある。
「記号学の本よ。片方はマグルの物だけど、二つ照らし合わせてみて。けっこう勉強になるから。」
まさに彼女らしいプレゼントだった。ようやく役に立ちそうなものを貰えて、ドラコは少し喜んだ。
「記号学って魔法薬学にも薬草学にも出てくるのに授業がないじゃない?体系化されているとはいえ、根本の理由を知っておくのは大事だと思うのよ。」
「やっと僕のためになるプレゼントをもらえてうれしいよ、グレンジャー。」
「あら、他はご期待に沿わなかったの?」
「まだドラコは中を見てもないんだよ、ハーマイオニー。」
シェーマスとディーン、ロンのプレゼントは気に入らないと暗に言っているドラコにハリーは呆れていた。
「絶対、後から僕のプレゼントは役に立ったって思うぜ。賭けてもいい。」
「おや、ウィーズリー。逆さまになっても埃くらいしか出なそうなのに賭ける金貨があるのかい?」
「お前プレゼント返せよ。」
感謝のかけらもないドラコの態度に、ロンが噛み付いた。
「人にあげておいて返せとは、さすがやることが違う。」
「アンブリッジを追い出すのにお前が協力してなかったらその鼻へし折ってやるのに。」
ロンが悔しそうに言った。
「でもどうして手を貸してくれたの?親衛隊にいた方が性に合っていたんじゃない?」
元が犬猿の仲だった分ハーマイオニーの言葉も容赦なかった。
「あのババアは精神衛生上良くなかった。害虫は燻り出すものだろう。」
「……お前にまともな感性が備わってるとこんなに鳥肌が立つんだな。」
ロンが二の腕を摩っている。ハリーも流石に弁護できなかった。自分もちょっと気持ち悪いな、と思ったからだ。
「まあ、実際あなたが協力してくれたおかげで私たちはあの女の目を掻い潜って色々出来た訳だし、感謝してるわ。」
「……ね、シリウスが捕まってるかもってなった時も、用心深いドラコのおかげでなんとかなったもんね。」
「用心深い?ビビリの間違いだろ?……僕はコイツが『僕は絶対行かない、ハリーも行くな、せめてもう一度確認しろ』って泣き喚いてたの忘れないからな。」
ロンの物真似にドラコは泥を投げつけたくなった。杖を持っていたら舌縛りをかけてやったのに。
「でもそのおかげでクリーチャーが嘘ついてるのが分かったんじゃないの。」
「ハーマイオニー、それ怪我の功名って言うんだよ。」
ハーマイオニーがすかさずフォローしたが、ロンは大真面目な顔で台無しにした。
ドラコがロンのスネを蹴り付けた。
「いった!いってぇ!このやろ」
脚を抱えてビョン!とロンが飛び上がった。
「いいざまだ。」
ドラコはそれを鼻で笑った。掴み合いになりそうなのを察知したハリーとハーマイオニーがそれぞれ身近な方を取り押さえた。
「ちょっとやめて頂戴。今日くらい大人しくしてて。」
「なんだって君はそう喧嘩っ早いんだ。……ロン、ハーマイオニー僕たち行くね!ありがとう!!」
いまだに下品な手つきをしているドラコを引きずってハリーは歩き出した。
肩越しに、ロンも同じ手つきをしているのが見えた。
「君とロンって案外似た者同士だよね。」
「は?あんな単細胞と一緒にしないでくれ。」
ドラコは嫌そうに否定したが、ハリーは無言の裏で、本当に似ていると重ねて思っていた。
ロンもドラコも家族を愛している。わりと小心者なくせに、覚悟を決めたら真っ直ぐなのも同じだ。
「ふふ、僕が君のこと好きなのもしょうがないのかもなぁ。」
「……今日の君はやけに素直で怖い。」
ニコニコしているハリーを見て、ドラコは奇怪なものを見る表情をしていた。
「失礼な。僕だってたまにはロマンチックな気持ちにくらいなるよ。」
ドラコの不躾な態度にハリーは唇を尖らせた。
「ナンセンス!」
打てば響くようにドラコが返す。
ハリーとロマンチックがどうしてイコールで結べようか。
ドラコにとってハリーとイコールなのはスリル、又はトラブル。付け加えるならブレイブだ。
だがハリーもこの返しに黙っているような少女ではない。そうだったらロマンチックとイコールだった。
喧々とドラコに不平を申し立てる。
もちろんドラコも言われるままになるはずがなく、二人は盛んに言い合いながらいつのまにか三本の箒の前まで来てきた。
「ポッター!お前私をこんなに待たせてなんのつもり?」
やいのやいのとやり合っていた二人はパンジーの鋭い一声にパッタリ口を閉じた。
「やあ、パンジー。えーと待たせてごめん。」
目的地をすっかり忘れていたハリーが目を泳がせながら謝罪した。
「本当よ。マルフォイのお祝いじゃなかったら帰ってたわ。……はい、マルフォイ。コレ私からプレゼント。誕生日おめでとうね。」
パンジーはハリーをひと睨みすると、ドラコに緑色の薔薇の花束を渡した。
「綺麗でしょ?スリザリンカラーよ。」
その薔薇の緑は天然物らしく、花弁ごとに色むらがあった。
「僕、この花なら完璧に蛙に変身させられそう。」
「ポッターのセンスに合わせたプレゼントって想像するだけでゾッとするわね。」
ハリーの明け透けな物言いにパンジーは鼻の頭にしわを寄せた。
「マルフォイ、もしあなたのプレゼントを彼女が喜ばなくたって、絶対あなたのせいじゃないわよ。」
「ありがとう、パーキンソン。心に染みたよ。」
ドラコも先ほどまでロマンスを語った口で情緒のないセリフを吐くハリーに呆れていた。
ありがたくパンジーから花束を受け取る。シェーマスとディーン、ロンとハーマイオニーからのプレゼントにパンジーの花束まで抱えるとドラコの腕はいっぱいになった。
「プレゼントに縮小呪文かけちゃえば?」
手を離されて不満げなハリーがプレゼントの合間から顔を出した。
「……そうしたいんだが、僕は今杖も取れない。こんなに贈り物をもらうと知っていれば、事前に入れるものを持ってきていたんだが。」
安易にサプライズなど企てたハリーの浅慮を責めるようにドラコがじとりとした視線を向けた。
「僕がやってあげるよ。」
「やめときなさいよ、あんただとマルフォイごと小さくしかねないわ。」
「僕だって呪文学の成績は良なんだけど?」
「私、忠告はしたから。」
高みの見物を決めたパンジーは楽しそうに腕を組んだ。失敗を疑っていないのだろう。
ハリーは悔しくなって、いつもより慎重に杖を振り上げ、呪文をはっきり唱えた。
「パウロボレント、縮め!」
細心気を付けた甲斐もあって、呪文は正しくプレゼントだけを小さく縮めた。
埋もれていたドラコの顔もあらわれる。ぎゅっと目を瞑った決死の形相だった。
「パーキンソン、僕は無事か?」
「残念ながらね。」
「二人とも僕を何だと思ってるんだ。」
ぷんすか怒るハリーを見て、ドラコとパンジーは意味ありげな目配せをした。
「わざわざそれが聞きたいなんてもの好きね?」
「愚問を問うのが趣味なのか。」
各者各様のスリザリンライクな返答にハリーは問いかけるのをやめた。
碌な言葉が返ってくる気がしなかったからだ。
「中にちゃんとザビニがいたわよ。ほんとポッターって見境ないわね。あいつにマルフォイ祝えなんてよく言えたものよ。」
三本の箒の入り口を譲りながらパンジーが言った。
「ザビニ?!」
ドラコは素っ頓狂な声を上げたが、時すでに遅く、ハリーに押されて店内に入ってしまっていた。
「よく来たよく来た。僕を呼びつけるなんて偉くなったものだね。」
「ハリーの誘いに君がのるなんてどういう風の吹きまわしだい?」
「そう疑ってかかるなよ。」
パンジーの言った通りザビニが店の真ん中あたりに四人席を陣取って二人を手招いていた。
「ま、今日に限っては何の含みもないさ。君の誕生日なんて目出度くもないけど、そこの救世主様が直々におっしゃるからね。有象無象らしく君にバタービールでも奢ってやろうと思っただけだ。」
他に選択肢がなかったドラコは、ザビニの前の椅子に座った。ハリーも隣に腰掛ける。
「お前が有象無象ならこの世界の過半数は無象だろう。」
「おやずいぶん買ってくれている。」
「ふん、君も、君の親も、人畜無害とは程遠いからな。」
「ま、毒ナシと自己申告するのは憚れるね。」
ドラコとザビニの会話を初めて間近で聞いたハリーは自分の選択ミスに顔をひきつらせた。
彼女は二人が気の置けない友人同士だと思っていたのだ。まさかこんなに皮肉をぶつけ合う間柄だとは予想もしていなかった。
もしこの関係性を知っていたら彼をトリに回さなかったのに。
「君の恋人、僕たちの会話にびっくりしてるよ。」
「どうせ、また早合点したんだ。気にするだけ無駄。」
ふうん、とザビニは興味なさそうに言った。ドラコも頬杖をついて店の奥を眺める。
ハリーは一人だけ気まずい沈黙を感じていた。
「お待たせしました、バタービール三つです。」
天の助けが来た。既に注文してあったらしいジョッキが3つ、テーブルに置かれた。
「ありがとう、ってネビル!」
運んできたのは丸顔がトレードマークの友人だった。
「どうしたの?三本の箒でバイトしてるの?」
ハリーは目を丸くして聞いた。彼にはドラコの誕生日祝いを頼まなかった。何せドラコが一年の時彼をいじめていたから、流石のハリーでも気を使ったのだ。
しかしこの頃随分とたくましくなったネビルはハリーの問いに首を振った。
「違うよ、僕もねマルフォイの誕生日祝いに来たんだ。」
「え?!」
ハリーは度肝を抜かれた。今がどうであれ、ドラコが彼にひどい無体を強いたのは消せない事実だ。あんなこと(呪いをかけられたり、物を奪われたり馬鹿にされたり)をされたのに、何故祝おうと思えるのかわからなかった。
仰天しているハリーと同じく、ドラコとザビニも予想だにしなかった人物の登場に言葉を失っていた。
「あは、驚くよね。わかるよ。でも、僕もいつまでも気弱なネビルじゃいられないからさ。」
だからドラコを許しに来たのだとネビルが言った。
「僕は君に許されたいとは思ってない。」
ドラコが慇懃無礼に言い捨てた。
「君の気持なんか知らないよ、僕が勝手に許してやりに来たんだ。」
ネビルは少しも怯まなかった。入学当初と比べてずいぶんと大きくなった身長で、ドラコを見下ろしている。
「例のあの人が生き返ったなら、僕たちは身内争いなんかしてられない。」
「お前ごときに何ができる。」
「マルフォイに出来ない事さ!」
椅子に座ったままにらみ上げるドラコと依然見下ろし続けるネビルの視線が交差した。睨み合い、しばらく沈黙が続いた。
先に視線を切ったのはネビルだった。仕方なさそうに肩をすくめて、息を吐く。
「君のことは嫌いだけど、ハッピーバースデイとは言うよ。」
「くそありがとうございます、だ。」
ドラコが大きく鼻を鳴らした。ネビルは売られたけんかを買わなかった。ただ視線で流した。
「じゃあ僕言いたいことは言ったから行くね。」
そういってさっさと行ってしまった。
「あっはっは!良いザマじゃないかマルフォイ!!」
二人のやり取りを愉快そうに見ていたザビニが大きく笑った。
「黙れ。」
ナイフを肋骨の下に差し込む冷たさでドラコが返したが、ザビニはにやにや笑いを引っ込めもしなかった。
「いやぁ、面白いね。ネズミかナメクジかと思っていた相手にナメてかかられるマルフォイ。今年一のジョークじゃないか。」
「お前がそのジョークを更新してくれたっていいんだぞ。今すぐ逆さ吊りにしてやろうか。」
「ヤダヤダ、野蛮だね。まるで死喰い人みたいだ。」
「その口、縫い合わせてやる!」
やれやれと首を振るザビニにドラコは机を乗り越えて掴みかかろうとした。
立ち上がった拍子に、三つのジョッキがグラグラ揺れた。
「ストップ!!!」
ハリーがすかさず立ち上がりドラコの服をむんずと掴んだ。
「バタービールが溢れるでしょ!」
明らかにそこじゃないハリーの発言にドラコは勢いを失い、椅子に崩れ落ちた。
「やめ、やめだ。」
机に行儀悪く肘をつき、ドラコは投げやりに手を振った。
「さすが救世主様、だ。僕まで助けてもらってしまった。」
少しもありがたがっていないザビニの顔にはシニカルな笑みが浮かんだ。
「まあ僕も当初の目的を果たすとしよう。そら、マルフォイ、ジョッキを持て。ポッターも。」
もはや抗う気力も失せたドラコは素直にそれに従った。ハリーも両手でバタービールを持つ。
ザビニは満足げにうなづいて、高らかに言った。
「ドラコ・マルフォイの無事を祈って、乾杯!ハッピーバースデー!くくく……」
堪えきれなかったザビニの笑いと共に三つジョッキがカァン!と鳴った。
「散々だった……」
冬であれば夕暮れが近づく時刻、村はずれの道を歩きながらドラコはうなだれた。
「あはは、ごめん。喜んで欲しかったんだけど。」
ハリーは苦笑した。
「ふん、君の浅知恵で僕を喜ばそうなんて百年早いんだよ。」
「そっか、ふふ、ごめんね。」
また、ハリーは仕方なさそうに笑う。
ドラコは違和感に気付いた。こちらの顔色を気にして悪いとも思っていないのに謝るような彼女ではない。
それに、この笑み。諦めたような顔。一番ハリーに似合わない表情だ。
「何を隠してるんだ?」
「……何もって言っても騙されてくれないよね。」
共に叫びの屋敷まで向かっていた歩をハリーは止めた。ドラコも彼女の数歩先に立ち止まる。
俯いたハリーは今にも泣き出しそうな風体だった。
「……今日ね、僕からのプレゼント、まだ渡してない。」
「ああ。」
「本当はね、僕と別れて欲しいって言おうと思ったんだ。」
ハリーの目からポタリと涙が落ちた。それはゾロゾロと増えて、乾いた地面に丸い染みができる。
爆発しそうな怒りをなんとか押しとどめてドラコは黙った。
まだハリーが話していたからだ。
「……ダンブルドアに君が何を任されたのか、知らないけど、危険だって事はわかる。僕の為に、死んでもおかしくない仕事をするんだろ?だから、僕は別れてしまえば、嫌いになってもらえば良いって思った。そしたらそんなことしなくて済む。……でもダメだ。僕は、君が随分と好きなんだ。」
ハリーはよろよろと2、3歩進んで、ドラコの肩に顔を埋めた。
心臓がひたすら痛かった。自己犠牲が過ぎるハリーが、エゴが過ぎるハリーが、ドラコを惜しんで泣いている。
息が詰まりそうだった。愛しさで胸がはち切れそうだ。
運命のためにすべて捨てる覚悟すらある彼女が、ドラコだけは捨てられないなんて。
自分の肩で泣く彼女の背に手を回す。そのままギュッと抱きしめた。
細い身体がドラコの腕の中にあった。すんすんと鼻を啜る音がする。
今なら死んでも良いと思った。
「君が僕を謀れる訳ないだろ。……それに、君に振られたところで、僕は君を嫌いになれない。無視できない。どっちにしたって僕は自分の仕事をした。」
「すごい殺し文句だ。」
耳元で涙に濡れたクスクス笑いがする。
「ハリーには殺す気でいって、ようやく丁度良いって知ってるからな。」
眉間を緩めて、ドラコは微笑んだ。ハリーが戸惑ってくれてよかった。
ドラコを好いてくれてよかった。
もしそうじゃなかったら、ドラコは絶望したまま引き返せない道を重い足取りで歩いて行った。
「ホント、君は馬鹿だ、ハリー。覚悟を決めているのは君だけじゃないんだ。」
きっと、ロンもハーマイオニーも最後までハリーと一緒に行くだろう。それに、今日確信したが、ネビルも同じ道を行く気概があるようだ。
もう一度強く抱きしめて、ドラコはハリーを離した。
彼女はもう泣き止んで、恥ずかしそうに目尻を染めていた。
緑の目がジッとドラコを見つめていた。不思議な煌めきをその瞳は纏っていた。湖面を走る光のような、朧げな美しさ。それに吸い寄せられるように、ドラコは顔を近づけた。
まつ毛が起こす風さえわかる距離。
鼻先が触れる。
ハリーが目を閉じた。
ーーそっと唇が触れ合うかという時、遠くから聞こえてきた濁声がそれを阻んだ。
「マルフォイー!」
乱入者に舌打ちして、ドラコはハリーから顔を離した。頬を赤らめたまま、ハリーはドラコを見つめていた。
可愛らしいその表情に、なぜキス出来ないんだ、という苛立ちが湧いた。
坂道の下から、クラッブとゴイルがこちらに向かって走ってくる。
ドラコは苛々と足を踏み鳴らしながら二人が寄ってくるのを待った。
「何の用だ。」
息咳切らして辿り着いた2人に、ドラコが素気無く聞いた。
「俺たちは、お前に従おうと思う。」
ううん、と咳払いしたゴイルが勿体ぶって言った。
「は?」
脈絡を得ない切り口にドラコは首を傾げた。
「例のあの人じゃなく、親でもなく、お前と一緒にやろうと決めた。」
ゴイルの後を引き継いでクラッブが重ねる。
「あの人に付いたら、僕は自分の好きなことが出来無くなりそうだからね。僕も君の方につくよ。」
いつのまにかクラッブとゴイルの後ろにセオドールがいた。
ドラコの口が不様にアングリと開いた。
三人の親は死喰い人だ。だから彼らもヴォルデモートに付くと思っていたのに、ドラコに付くという。
信じきれなくて、到底言葉が出なかった。
「はは、間抜けな顔だな、マルフォイ。」
「いつもの澄ました態度はどうしたんだ。」
「豆鉄砲食らったふくろうみたいじゃないか。」
三人とも、小さい頃から知っていた。仲が良いとは言い難いが、いつもそばにいた。
ドラコの友人を強いてあげるとしたら、今目の前で笑ってるこの三人だ。
「サプライズは成功だな。ゴイル。」
「ああ。」
「僕も噛ませてもらえてよかったよ。」
『ハッピーバースデー、ドラコ』
あまりに幸福なその音にドラコは堪らず顔を覆った。
光が眩しすぎた。
ハリーがそばに寄り添って、ポンと背を叩いてくれた。
ドラコ ハピバ!!
夢落ち、6年必要の部屋で絶望しながら目覚めるエンドにしたくてたまらなかったけど、何とか耐えたよ!!
もうこんなハピエンは当分書けない(在庫切れ)
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