のど元過ぎれば
熱いスープを無理に食べようとしているようなものだ。と僕は何度思っただろうか。
スープであれば時間おけば食べられる。だけど人間はそうはいかない。
僕がハリー・ポッターに因縁をつけるのは、美味しそうなスープが目の前にあって、熱くてとてもじゃないが食べられないとわかっているのに口をつけて火傷するのと似ている。
手痛いしっぺ返しを喰らうと分かっていてもいっときでもハリーをやり込めたくて手を替え品を替え接触し続けずにはいられないのだ。
ハリーの姿を見かけたら近づいていくのが癖になっていた。だから廊下の隅でしゃがみ込む当人を見つけた時も躊躇せず寄っていった。
遠目に見ても具合が悪そうで、ちょうど寮に帰る途中だった僕は不運にも同じく道を歩いていたザビニと別れる口実ができたと喜んだ。
「ザビニ、少し野暮用を“見つけた”から僕はこれで失礼するよ。」
僕の意味深な言い様にザビニはすぐハリーを見つけた。それから少し呆れた顔をして、あっさりうなづいた。
「君の悪趣味は大したものだよ。気がしれないね。」
美的センスに自信を持っているザビニには見窄らしいハリー・ポッターをからかい続ける僕の趣向は理解できないらしい。
どうせ歪めるなら綺麗なものがいいと思っているようだ。
綺麗なものをぼろぼろにしたってなんにもおもしろくない。ただちょっと加虐心が満たされるだけではないかと僕は思う。
それならぼろぼろなものが地の底まで落ちていく方がよっぽど面白い。
「そうかい?まあ子供が芋虫を木の枝で突き刺すようなものかもしれないな。」
問答をしている時間ももったいなくて、僕は片手をひらっと振るとゆったりした足取りでハリーに近づいて行った。
僕が近づいてくる足音が聞こえていただろうにハリーはまんじりともせず荒い息を吐いて吸って苦しそうだった。
カツン、カツンと石の壁に足音が反響する。冬を迎え、空気は透明なガラスみたいに硬質だった。そんな中、石畳に座り込んで寒くないのだろうかと僕は一瞬疑問に思ったが、そういえばハリー・ポッターは物置出身だったと思い出した。寒さにも慣れているに違いなかった。
「やあ、ポッター。とうとう新居を決めたのかい?学校の廊下とはマグルの親戚もびっくりだろう。」
浮ついた、軽薄な声を作って笑ってやればハリーの肩がかすかに揺れた。腕に埋めていた顔を上げて、緑の目が僕を睨む。
「おっと、怖い怖い。そんなに睨まないでくれよ。君の身を心配して声をかけに来ただけじゃないか。」
具合が悪いハリーなど全く恐ろしくもない。僕はわざとらしく肩をすくめ爪先でハリーの頭を小突いた。ハリーはうっとうしそうにそれを振り払う。
「君なんか呼んでないんだけど。僕の身を案じてるのならそのげぼ吐きそうな面をとっととどっかにやってくれ。」
よっぽど余裕がないのかハリーの返答は率直だった。いつもならもう少し捻った皮肉を返してくるのに、と僕はしゃがんで顔を覗き込んだ。
ハリーの顔は真っ赤だった。ほのかに甘い香りがする。出所を探って辺りを見回すとハリーのすぐそばにチョコレートの箱が落ちていた。珍しい、マグル製の物だった。
零れ落ちている中身を一つつまんでにおいを嗅いでみる。なんだ、惚れ薬が入ってるのかと思えば悪戯専門店に売ってるちゃちなものじゃないか。これじゃあすぐ解ける。多分、薬が効いてる間の仕出かしで相手に罪悪感を抱かせる類のやつだ。責任感の強い人間に使えば薬のせいだとしても付き合えるかもしれないというナンセンスな代物だ。
「愚かなファンの思惑に乗ってやったのかい?英雄様は大変だな。ファンサービス一つにも体を張らなきゃいけないなんて。」
「余計なお世話だ。」
至近距離まで寄ると熱い体温が空気を通して伝わってくる。僕は相手が動けないのをいいことにさらにそばに寄った。すぐ隣の壁にもたれて座り、うつむくハリーを見下ろす。
こんなに近づいたことは今までないんじゃないかと気が付いた。また腕に顔をうずめたハリーのくしゃくしゃの髪を掴んで無理やり引っ張る。
「いたッ……」
白い喉元が眼前にさらされた。そこに杖をあてがって、呪文を一言唱えれば、それだけであっけなくこいつは死ぬんだろうなと無地に近い気持ちで思った。
なんだか無性につまらなくなってすぐ手を放す。芋虫だって生きてるからこそつつきまわすのが面白いのだ。死体をつついたところで何にも反応が返ってこない。
「このやろ……」
急にハリーが動いた。僕のネクタイをひっつかんで力を籠める。僕の体はハリーの重量に引き摺られて傾いた。
ふっと他人のにおいが鼻先をかすめる。真っ白い肌の色、黒い髪、緑の目が近すぎてモザイク画のように僕の目に映った。
鮮烈な体温が唇を通して伝わってくる。キスされた。僕は遅まきながら自覚する。
「キスしなきゃ薬の効果が解けないんだって。ちょうどいいとこに来てくれて助かったよ。君相手なら罪悪感も抱かない。」
宣言通り効果が切れたのかハリーはすっきりとした表情で立ち上がった。忌々しそうに袖で唇をぬぐっている。
「じゃ、”ありがとう”、マルフォイ。」
ハリーは蔑んだ視線を一つよこして、そっけなく去って行った。僕は不覚を取られたことが悔しくて悔しくて、ぐっと唇を噛んだ。
至近距離で感じたハリー・ポッターはやっぱり熱くて苦かった。
口内に血の苦みと薬の甘い味だけ残って僕はしばらく屈辱に煮えたぎっていた。
おしまい
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