2-1 潜む牙は蛇

  イングランド南西部に位置するウィルトシャー州。長閑な風景の合間に古くから息づく魔法の影がちらちらと姿を見せるこの地にマルフォイ家は屋敷を構えていた。

 林に囲まれた丘の天辺に白亜の館がそびえている。静かな宵闇の中、窓から漏れる柔らかい明かりがその館に人の気配を感じさせていた。

 館の中心部、食堂にマルフォイ一家は集まっていた。黒と銀の調度品で整えられた室内と、大理石の床が夏だというのに冷ややかさを醸し出していた。ドラコは父と母とともに席に座っていた。三人で使うには大きすぎる長テーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられ、陶芸家が焼き上げた白磁の花瓶に季節の花が生けられている。

カトラリーが並んだテーブルに料理が一皿ずつ交代に現れる。宙を泳ぐボトルがドラコのグラスに炭酸水を注いだ。

「魔法省で役職の代替わりが進んでいる。」

 肉料理の油を果実水で流し込んだルシウスが口を開いた。

 黙々とナイフを動かしていたナルシッサは動きをとめ、首を傾け夫を見た。

「この間も魔法法執行部のマグル法衡平局の局長が変わった。私がファッジから聞いたところによると、なんと驚いたことにサーシャ・トルバートが席を得ただとか。彼女に局長を務める器量があったとは知らなかった。」

 ルシウスは一息に喋り、口端をナプキンで拭った。それを隅に控えていたドビーに投げつける。

「マグル生まれをあの局のトップにつける危険性を私はファッジに進言したのだが、ダンブルドアからの指示だと言って彼も首を振っていたよ。全く、校長の仕事は校内の安定だというのに、ダンブルドアは魔法界も自分の裁量にあると思っているらしい。」

 忌々しそうにルシウスは小鼻を膨らませた。ドラコは勇んで声を上げた。

「だけど父上、このままにしておかないでしょう?僕はマグル生まれに上に立たれるなんてごめんだ。」

「もちろんだとも。ダンブルドアには自分の裁量を守ってもらわなければ。」

 確固たる父のうなづきに、ドラコは満足した。最近の魔法界は純血を軽視しすぎている。父母と同じくドラコも自身に流れる血を誇っていた。

 平皿が消え、スープ皿が現れた。レモンソースをかけた白身魚が上品にのっている。

 ドラコは慣れた手つきでカトラリーを持つと、身にナイフを差し込んだ。

「ところで七月の終わりにグリーングラス家がガーデンパーティをするらしい。」

 ルシウスが唐突に話題を変えた。

「まあ。あそこのお庭はそんなに立派なものでしたかしら。」

 パーティと聞いて、ナルシッサが口元に手を当てる。

「最近庭を改装したらしい。それのお披露目にぜひ来て欲しいと願われてね。ナルシッサ、いいかね?」

「あまり期待は出来ませんけど、もちろん。」

 母が行くのならドラコの出席も決まったようなものだった。同級生のダフネ・グリーングラスのところか、とドラコは彼女の姿を思い出そうとした。そういえば、確か妹がいて血の呪い持ちだと言っていた記憶がある。ハリーを誘えば喜ぶかもしれない。

 学期末に別れたきりの友人に会えるチャンスだとドラコは企んだ。

 早速父親に頼もうとした時、ドビーが慌ただしく食堂から出て行った。

 ルシウスがその騒々しさに、鼻に皺を寄せた。その表情にドラコはドビーが折檻を受けるだろうと分かってしまった。会話を交わすようになったしもべ妖精にドラコは少し同情したが、しもべとしてのマナーが拙いのが悪いのだからしょうがない。そう思って特に庇うことなく食事を続けた。ようやく戻ってきたドビーは銀の盆に封筒を乗せていた。

「旦那様、ノット様から火急の知らせが届きました。」

  恭しく差し出されたそれをルシウスはおざなりに受け取った。ドビーが指を鳴らすと封が切れる。

 蝋燭の明かりに便箋を照らしてルシウスがそれを読んでいる。

「……忌々しい。とうとうノット家にまでガサ入れが入ったようだ。我が邸に無礼者が泥のついた靴で上り込んでくるのももうすぐだろう。まったく、礼儀知らずが権力を持つとこれだ。」

 ルシウスはぶつくさと文句を言った。邸にあるものを整理しなければならない。歴史的に貴重なものもあるのに粗忽者どもには価値がわからないから押収していくだろう。速急にボージン・アンド・バークスに引き取らせなければ。と首を振る。

 機嫌が悪い父の様子に今は申し出る時ではないと察したドラコは口をつぐんだ。

 つつがなく夕食を終えた。席を立つドラコをルシウスが呼びとめる。

「ドラコ、話したいことがある。あとで私の書斎に来なさい。」

 ドラコは首を傾げながらも従順にうなづいた。何の用だろうと考えながら自室に戻り、ジャケットを脱いだ。

 少し気楽な格好に着替え、すぐルシウスの書斎に向かう。

 燭台が廊下を照らす。居並ぶ窓には全てベルベットのカーテンが掛けられていて、その分厚い布が音を吸収しているように静かだった。

 白い壁と黒檀の柱がえんえんと続いている。廊下の突き当たりを曲がると壁の中心に重厚な両開きの扉が現れた。

 ドラコはその扉をノックした。すぐに応答がある。書斎に一歩足を踏み入れると毛足の長い絨毯がドラコの革靴を受け止めた。

 ルシウスは机に座り、黒い手帳みたいなものに何かを書き込んでいた。

 息子が入室したのを見て、ルシウスは手帳から顔を上げると机の前の椅子に座るよう顎で指した。

 ドラコが腰掛ける前にルシウスが口を開いた。

「お前、確かグリフィンドールに友人がいたな?」

 ハリーのことだ、とドラコは思った。クリスマス休暇に入る際、両親にハリーとの関係を聞かれていた。ルシウスはそれを覚えていたらしい。

「ハリーのこと?」

「ハリー、そうそんな名前だった。……姓はポッター、間違いないな?」

「うん。」

 今まで自分自身が充てがった子供以外には全く興味を示さなかったルシウスに己の友人のことを聞かれて、ドラコの気持ちは浮き上がった。

「そう、ハリー・ポッター。グリフィンドールだけど闇の魔術に興味があるんだ。」

 自分で選んだ人間はきちんとしてるんだと父に伝えたくてドラコは勇んで言った。

「それは結構。そしてダンブルドアと親密だとか。」

 そこまで父に話していただろうかとドラコは不思議に思った。ハリーの家にダンブルドアが遊びに来るというのは本人から聞いて知っていたが、両親に話した覚えがなかった。

「……そう言ってた。」

 だがドラコは正直にうなづいた。別にルシウスに知られたところで何も問題ないはずだ。

「ダンブルドアはクリスマスディナーも彼女の家で摂ったな?」

「それは、聞いてない。」

 やけに真剣な瞳で覗き込まれてドラコは居心地が悪くなった。ダンブルドアなんて興味なかったからくりすますにダンブルドアがハリーの家に行ったかどうかなんて覚えてなかった。

「ふむ。」

 ルシウスは思案気に床へ視線を移した。

「息子の友人だ。一度挨拶をしておきたいと思うのだが。」

 どうやらハリーは合格をもらったらしい。ドラコは嬉しくなって声を弾ませる。

「父上、それならグリーングラスのガーデンパーティーにハリーも呼んでいいですか?!」

 ドラコの願いは父親のゆったりした笑みによって叶えられた。

「もちろんだとも。きっと楽しいパーティーになる。」

 口の中のワインを楽しむようにルシウスは静かに囁いた。


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