2-2 花は種になる
夏休みになって帰ってきた我が家はなんだか真新しく見えた。クリスマスもイースターも戻ってきていたのに不思議なものだとハリーは思った。
だが数日もたてばその違和感はどこかに飛んで行ってしまって、ハリーは気ままに森へ行ったり温室に籠ったりしながら毎日楽しく過ごしていた。
ドラコのワシミミズクが手紙を持ってきた日もハリーは温室でクリーチャーと一緒に薬草の手入れをしていた。
ちょうどラベンダーの茎を剪定していたので、花が揺れて温室の中は薫香に満ちていた。開け放した窓の外で羽ばたく彼を見つけてハリーは鋏をおき、外に出た。
「ドラコから?何の用だろう」
鼻が利かないはずのワシミミズクはハリーの足元に手紙を落とすと嫌そうに飛んで行ってしまった。
ぽつんと残されたハリーは白い封筒を拾うと早速封を切った。指先についた泥を上着で拭って便箋を取り出す。
“
やあ、ハリー。
元気にしてるかい?
僕はいつも通り何不自由なくやっているよ。
ところでこの前ガーデンパーティーに招待されてね。
君、植物が好きだろう。だから父上に願い出て、君も行けるように取り計らったよ。
パーティーは次の土曜日だ。君の家までうちのしもべを迎えにやるから準備をしておいてくれ。
そうだな、ワンピースで良いと思う。くれぐれも泥だらけのスニーカーなんか履いてこないでくれよ。
じゃあな。
ドラコ
“
読み終わったハリーは顔を顰めた。こちらの予定を全く聞かずにパーティーに行くぞとだけ書いて寄越すとは飛んだ暴君だ。
だが、休み中どこに出かける予定もないから遊びの誘いに少しワクワクもした。
「だけど、ガーデンパーティーだって?僕、そもそも普通のパーティーすら行ったことないけど」
ドラコが行くような場所に自分が馴染めるとは到底思えなかったハリーはじっと手紙を見つめた。
どうしようか。去年ジェームズが用意してくれたよそゆきがあるので服には困らない。入学してから一度も着ていないから日に当てたい気もする。
とりあえず、家族二人とバチルダに相談しようと決めたハリーは、手紙を片手にはためかせながら家に入った。
話したいことがあるからと、ハリーは午後のお茶にバチルダを招いた。
家から引っ張り出されたバチルダはめんどくさそうな顔をしながらもちゃんと時間通りにやってきて、ハリーと一緒に居間に座っている。
ベルが二人の前にお茶の入ったマグカップとサブレを置いた。
「ありがとう、ベル」
ハリーとバチルダは口々にお礼を言い、カップを手に取った。
一口飲み、口の中が潤うとハリーは早速ガーデンパーティーの話をした。
「ドラコがパーティーやるから来いって手紙をくれたんだ。」
「あら」
バチルダはちょっと驚いたように瞳を瞬いた。彼女の反応に自分と同じような戸惑いを感じて、ハリーはスッと気持ちが楽になった。
「どこでやるとかも書いてないんだけど、僕が行って大丈夫かな?」
蜂蜜をたっぷり入れたカモミールティー片手に、ハリーは首を傾げる。
「そうねぇ」バチルダは思案げに頭をしなだれて、お茶を一口啜った。
「まあ、友達の招待だと言うならきっと平気でしょうけど……でもマルフォイなのよね?」
「そうだよ」
歴史家から見たマルフォイ家に何か問題があるのかと、ハリーはちょっとソワソワした。
「あそこの家は保守派だから、きっとパーティーも保守派しかいないはず、」
バチルダはそこで言葉を切って意味深にハリーを見つめた。ハリーは歴史の裏話が大好きだったから期待して続きを待った。
「それで?」
早く早くと先を促す。
「革命児みたいなあなたが行ったら相当居心地悪いかもしれないわ」
面白そうに口端を上げるバチルダに、ハリーは白けた眼を向ける。
「僕、革命なんかしてないよ」
「なら大丈夫じゃない?」
拍子抜けするほど軽いノリでハリーのガーデンパーティー行きは決まった。
「クリーチャーを連れていきなさい。あの子は貴方の保護者のしもべ妖精だからちょうどいいわ」
「わかった。」
バチルダの助言にうなづいて、ハリーは予定を伝えるため、クリーチャーを探しに席を立った。
「お嬢様は大丈夫なのでしょうか?」
一部始終を黙って聞いていたベルが心配そうにバチルダに尋ねた。
「一応あの子も純血の血筋だし、何よりブラック家のしもべ妖精、クリーチャーを連れて行くのだからそこまで酷いことは起こらないと思うわ」
お茶を吹き冷ましながら、バチルダは優雅にうなづいた。
そしてやってきた土曜日、ハリーはよそゆきを着込み、可愛いパンプスを履いてキッチンに座っていた。
ハリーが足を揺らすのに合わせて白木の椅子がキシキシ音を立てる。
「お嬢様、せっかく綺麗な格好をなさってるのですから足をバタバタ致してはいけません!」
緊張で気が立っているのか、クリーチャーがヒステリックに言った。
「はーい」
ハリーはお行儀良く返事をして、つま先を床につけた。柔らかい茶色のパンプスと、白いレースの靴下。可愛い丸襟のブラウスに赤とクリームのチェック柄ボックススカートを合わせたハリーはおとなしくしていれば良いお家のお嬢さんだった。
今日は珍しく髪の毛を一房三つ編みにしている。ベルが張り切って着飾らせたのだ。
「聞かなかった僕も悪かったけど、普通何時に来るとか書いておくものじゃない?」
朝ごはんを食べてからずっとキッチンで待機しているせいでハリーは退屈していた。
「まだ来ないなら、僕、温室にでも行ってこようかな……」
テーブルに頬っぺたをつけて、そんなことをぼやくハリーにクリーチャーはとんでもない!と声をあげようとした。
しかしそれは玄関のチャイムに遮られた。ハリーが勢いよく頭を上げる。
「あ、来たのかも!行こう、クリーチャー!」
椅子から大きく立ち上がり、ハリーは玄関にかけていった。
「お待ちください!お嬢様、お土産をお忘れです!」
ハリーが置いていった鞄と小さなブーケを手に取って、クリーチャーも大慌てで後を追った。
玄関ホールまで走ってきたハリーはちょっとスカートを直し、目にかかった前髪を除けると早速扉を開けた。
その瞬間、扉の前にいた誰かが飛び下がって地面にひれ伏した。
「ドビーめでございます!」
キーンと耳をつくしもべ妖精の声にハリーは面食らったが、すぐに笑顔を浮かべて彼の前にしゃがんだ。
「やあ、君がドラコのところの妖精なんだね。僕はハリー、よろしくね!」
よいしょとドビーを起き上がらせながら、ハリーはいそいそと挨拶した。
こんなに優しく迎えられたことのないドビーはポカンとハリーの顔を眺めていた。
ドビーが何も言わないので、ハリーはもっと色んなことを聞いてもいいのかな、と体を傾けてドビーを覗き込んだ。
「ハリー様!」
その時、クリーチャーが追いついた。ハリーはにこにこしながら後ろを振り向きクリーチャーの手を引っ張るとドビーに紹介する。
「こっちは僕のおじさんの妖精のクリーチャー。今日一緒に行ってもいいよね?」
光の奔流みたいな少女を目の前にして、ドビーは操り人形のごとく口をパカパカしていた。
本当に、この少女があのドラコの友人なのだろうかとドビーは疑わずにはいられなかった。
何度か瞬きをして、ようやく夢見心地から抜け出すと、緑の目がドビーの答えを待ってこちらを見ているのに気がついた。
何か答えなければとドビーは必死に頭を巡らせたが、出てきたのは「ドビーめにはわかりません……」というひとことだけだった。
——
非常に落ち着きのなくなったドビーに連れられて、ハリーたちは人気のない裏庭のような場所に転移した。
榛に囲まれた砂利道にハリーはポカンと突っ立っていた。どこからか小川のせせらぎが聞こえて来る。道の両脇には低木が行儀良く並んでいて、ハリーの行先を案内してくれるみたいだった。
「ハリー!」
背後から、耳に慣れた声が聞こえた。
「ドラコ!」
じゃりじゃりと小石が擦れる音と一緒に、ドラコが歩いてきた。
彼の背後にはマルフォイ夫妻らしき背の高い人影があった。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
「いや、何時から始まるとか教えてもらってないよ、僕」
「そうだったか?」
ドラコはハリーの頭のてっぺんから爪先までじろじろ眺めた。
「まあ、今日は小さなパーティーだからな。その程度の格好でも浮かないだろう」
「僕の父さんがくれた服だ。侮辱しないでくれる?」
「おや、それはすまなかったね」
少しも悪いと思っていないドラコにハリーは鼻白んだ。
もうやいやい文句を続ける気も無くなった。
「はあ、もういいよ。さっさといこう」
ハリーが大きくため息をつくと、ドラコも軸足を入れ換えて、向きを変えた。
「言われなくても」
ハリーはポシェットの位置を直し、ブーケを握り直した。元来た道をもどっていくドラコの後ろに続いて、マルフォイ夫妻の前に出る。ハリーは頭の中で今日のパーティーにあたってクリーチャーから言い含められたことを反芻した。
——会場では屋敷しもべ妖精に話しかけないこと。
嫌な決まりだったが、クリーチャーとベルがあまりに真剣に言い聞かせて来るので、ハリーは言いつけに従った。
威圧感のある夫妻に、少し緊張しながらハリーはゆっくりと頭を下げた。
「こんにちは。今日はお世話になります。ハリー・ポッターです」
ハリーの後ろに付き従っているクリーチャーが満足そうにうなづいた気配がした。
「あらあら、ご丁寧に。私はナルシッサ・マルフォイ。ドラコの母です」
鈍色の鈴を転がすように、マルフォイ夫人が挨拶を返す。
「ルシウス・マルフォイ。悲しいことに、君の横に突っ立っている唐変木の父だ」
続くマルフォイ氏は頭が痛むように額に指を当て、首を振ってみせた。
呆れている、と全身で言っている彼の仕草にハリーは少し笑ってしまった。そして、本当はドラコが紹介をするまで挨拶を待つべきだったのだと悟った。
「父上、僕はちゃんと紹介しようとしてたじゃないか。ハリーがせっかちで勝手に喋り出しただけなんだ」
父親の視線にドラコは抗弁した。だが、ドラコの抵抗など散々見飽きているルシウスは、息子を鼻であしらって踵を返した。それを隣で見ていたハリーはドラコに悪いことをしたなと思った。
しかしドラコの方も父親の雑な対応に慣れているのか、ひとしきり文句を言うと怒気を収めた。
「さあ、役者が揃ったところで行こうではないか」
ルシウスがナルシッサに腕を差し出すと、彼女はその白魚のような手を穏やかに絡ませた。
その優雅な様子に、ハリーはほぉっと息を吐いた。
両親が歩き出した後にドラコが従う。ハリーも慌てて足を踏み出した。ハリーからさらに一フィートほど距離を空けて、クリーチャーもついてきている。
一行が砂利道を進んでいくとやがて開けた場所に出た。白い瀟洒な屋敷が遥か彼方からハリー達を出迎えた。鉄柵の向こうに見える前庭はハリーの家が二軒入るほど広く、見事に手入れされた庭木と、涼しげな噴水が所々に趣味良く配置されていた。
あまりに立派な屋敷だったから、玄関まで行くので疲れてしまいそうだとハリーは思った。きっと繊細な姿をしているナルシッサも途中で疲れ果ててしまうに違いない。
だけどルシウスはゆったりとした足取りで進んでいく。腕を絡めたナルシッサも落ち着いたものである。もう少し先へ行くと、鉄柵の隙間に薔薇のアーチを見つけた。そこへマルフォイ夫妻は進んでいった。二人が薔薇のアーチを潜った途端、ぐにゃりと風景が歪んで夫妻の姿が消えた。ハリーは仰天して声を上げた。
「あれ?君のご両親が消えたよ!」
「当たり前だろ。薔薇のアーチは会場への入り口だからな」
ドラコが白けた目で鼻を鳴らした。
「ふーん」
九と四分の三番線と同じく、あのアーチも境目であるらしい。さすが金持ちは使う魔法の規模も違う。
アーチの下を潜っていくドラコにくっついてハリーも境界の向こうへ足を踏み入れた。
ふわっと霧を抜ける感覚と、花の芳香がハリーを包んだ。さくりと足下でみずみずしい芝生が音を立てる。
すぐさまそよ風みたいな囁き声が四方から押し寄せて来る。
たどり着いたのは美しい庭園だった。木々や植物がその場一面に緑の濃淡をつけ、小ぶりながらも鮮やかな花々が彩りを添えている。英国風の庭の奥には分厚い生垣で出来た迷路も見えた。
「綺麗」
ハリーは言葉を溢した。
「ふん、まあまあだな。自慢していただけはある」
ハリーとドラコは会場の入り口に立っていた。もうすでに招待客はほぼ集まっているようで、いくつもある丸テーブルの間に沢山の人が散らばっていた。
「お客様、お飲み物をどうぞ」
立ちほうけている二人に給仕が近づいてきて、ウェルカムドリンクを渡した。
黄金色の液体の揺れるグラスを受け取り、ハリーはそれを日に透かしてみた。パチパチと泡が天の方へ昇っていく。キラキラ光った。
「田舎者丸出しの仕草はやめてくれないか?」
せっかくハリーが感動していたのに、ドラコがすかさず水を差してくる。ハリーはムッとしながら手を下げた。
「子どもはこっちだ。大人の中にいると白い目で見られる」
ドラコに手を引かれるまま、ハリーは会場の端に移動した。大きな木の下に白いテーブルと、枝から下がるブランコがあった。その周辺に着飾った少年少女が三々五々集まって喋っていた。
「まあ、ドラコじゃないの。遅かったわね」
ハリー達が寄っていくと、ドラコに気が付いたスリザリンの女の子が輪から抜けてやって来た。
パンジーだ。ハリーは無意識に鳩尾を硬くした。
「……あらいやだ、ポッターなんか連れてどうしたの?」
「こんにちは?」
パンジーが目を細めて高圧的に見下ろしてくる。ハリーは一歩も引かずに受けて立った。
「あなたがここに来るなんて、思いもしなかったわ。生意気にしもべまで連れてきて……でも残念、メッキは長いこと持たないわよ」
「ご親切にどーも。君のメッキもボロボロだろ?お手本かい?」
ハリーとパンジーの間に火花が散る。二人に挟まれたドラコは情けなく狼狽えていた。彼はグリフィンドール生のハリーをここに連れてくる意味を全く考えていなかった。自分の友人ならば無条件に受け入れられるだろうと思い込んでいたのだ。
「あ、あー、ハリー?あっちに行かないか?グリーングラスの姉妹がいる」
ひりつく空気に耐えられず、ドラコが恐る恐る提案した。
「……そうだね、挨拶をしなきゃ」
ハリーが大人しく睨み合いを断ち切ってくれたので、ドラコはほっと胸を撫で下ろした。
「ちょっと、どこにいく気?」
背を向ける相手にパンジーがすぐさま噛み付く。
「人としての礼儀を果たしに」
それを歯牙にもかけず、ハリーは髪を後ろに払うとドラコと一緒に彼女から離れていった。
「なんで君とパーキンソンはそんなにそりが合わないんだ?」
心底不思議だという風にドラコが首をかしげている。ハリーは大きく鼻を鳴らした。
「さあね。もしかしたらあの子、君と仲良くしたいんじゃない?」
おおよそ正解だろうと思ったけど、ハリーはわざと言葉尻をぼかした。人の好意を勝手に口に出すのは、いくらパンジー相手であろうと憚られた。
「まさか。これ以上どう親しくなれって言うんだ?僕はパーキンソンと同じ寮だし友人と言っても過言じゃない」
「あーあ。残念な頭だね」
「自分のことか?」
ドラコが心底呆れた目でハリーを流し見た。
「僕の頭のどこが残念なんだ?母さん譲りの見事な赤毛だろう」
「そういうところ」
無遠慮に突き付けられたドラコの人差し指を、ハリーはすぐさま叩き落した。
「まったく紳士には程遠いな」
「ハリーこそ」
「僕は紳士淑女いずれにもなるつもりないからね」
ハリーが肩を竦めた時、先だって歩いていたドラコが足を止めた。木の幹のそばに立っている少女二人をハリーに指し示している。
「あれがグリーングラス姉妹だ。ダフネは知ってるだろう?」
「うん。もう一人は妹さん?」
同級生であるダフネ・グリーングラスの隣にはこげ茶の髪をした大人しそうな女の子がいた。そばかすの浮いた白い肌に、青い目をしている。
「ああ。なんでも血の呪い持ちらしい」
何でもないようにドラコが付け足した。呪いという単語にハリーは息を呑んだ。
「まさか……彼女も?」
「だから君をここに連れてきたんだ。呪い持ち同士、話しが合うかもしれない」
ドラコのセリフはひどく無神経だったが、ハリーは少女に気を取られていたので気にしなかった。
自分と同じような目に合っている子供に、ハリーは初めて出会った。
ドラコがまた歩き出したのに、戸惑いがちについていく。ハリーの頭の中は呪い持ちの少女にどうやって話しかけるかで一杯だった。
ダフネと妹は別の少年と話していたが、ドラコが近づくとこちらに気付いて会話を止めた。
「ドラコ、着てくれたのね。こんにちは」
「やあ、グリーングラス……いや、今はダフネと呼んで構わないかい?」
ドラコは軽く手を上げながら挨拶をした。それにダフネが愉快そうに笑う。
「良いわよ。今日はグリーングラスだらけだから」
ちらりと横目で妹を見て、それから大人の方を見、ダフネは笑みを深くした。
ドラコも答えるように少し笑った。なんだか肌に馴染みのない会話にハリーは居心地が悪くなった。気づかれないようにそっと視線を動かして、クリーチャーの姿を確認した。
二人の上品な談笑を聞き流しながら、ハリーは妹の様子を盗み見た。彼女はぼんやりと姉とドラコが話しているのを見ていた。
「あら、その子は……グリフィンドールの」
その時ダフネがドラコの後ろにいたハリーに気が付いて、名前を思い出そうと目を細めた。
「ハリー・ポッターだ」
ドラコが手招くのでハリーは渋々一歩前に進んだ。
「植物が好きらしくて、せっかくグリーングラスの庭園を見られる機会だから誘ったんだ」
「そうなの。まあ母様がたいそう凝ってたから少しは楽しいと思うわよ」
自分自身は全く興味なさそうにダフネがおざなりに庭園に手を向ける。
「うん。きれいな花ばかりで面白いよ」
”こんにちは”と会釈した後、ハリーは微笑んだ。森には自生しない草花が多くて物珍しく思っていたのは事実である。
「どうぞお好きに見て頂戴。何なら妹、アストリアに案内させるわ」
ゆったりとした動作で、ダフネが口元に指を添える。少し困ったようにアストリアが姉を窺った。
「ありがとう、でもそこまでしてもらわなくても……」
「案内してもらえばいいじゃないか。僕がそのために取り計らったんだ」
ハリーが固辞しようとするとドラコがすかさず邪魔をした。舌打ちしそうになるのを寸出で耐える。
「ええ。アストリア、いいわよね」
ダフネが有無を言わさぬ調子でアストリアに聞いた。
「……うん」
全く良くなさそうにアストリアはか細く答える。
ハリーは申し訳なくてたまらなくなったが、なんと言ったらいいかわからずただハラハラと成り行きを見ていた。
結局、抵抗しきれなかったハリーとアストリアは二人で庭の探索に出かけることになった。
集団から離れたところまで来ると、ハリーは彼女に謝った。
「ごめんね、僕のせいで手間をかけて」
「良いわ、私もぼんやりしてるのに飽きてきたから」
ふうッとため息を吐きながらアストリアは首を振った。
「それに、姉様はあなたのこと嫌いみたいだし。私、姉様の嫌いな人、嫌いじゃないの」
「えぇ……ああ、エット、光栄だね?」
アストリアとダフネはあまり仲が良くないのだろうか。ハリーの頬を汗が落ちる。
微妙な笑顔のハリーをアストリアはちらりと見上げると、すぐ興味を失ったように視線を逸らした。
「なんかあなた、ハリーだっけ?冴えない人ね」
「そう?」
面と向かって冴えないと言われるとは思わなかった。ハリーは目を白黒させる。
そんな相手の様子なんかお構いなしにアストリアは続ける。
「冴えない人は好きよ。私より冴えないともっと好き。あなたは瞳が緑で綺麗だからそこまでじゃない」
今度こそ、ハリーは答えに詰まった。アストリアは会話をする気が無いに違いない。彼女の言葉は全部独り言みたいだった。
アストリアも再び口を開くことは無かったので、二人はしばらく無言で花壇の間を歩いた。
どこかにある小川の音と、蜂が蜜を運ぶ音。時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。きれいに整えられた花壇の中にラベンダーを見つけて、ハリーはブーケの存在を思い出した。
「あ、そういえば僕お土産にこれを持ってきたんだけど……」
そう言ってずっと持っていた小さなラベンダーとカスミソウのブーケをアストリアに渡す。
「……正気?」
奇怪なものでも見る目でアストリアはブーケを凝視していた。
「え?どういう意味?」
ハリーは首を傾げた。
「今日はガーデンパーティーよ。言うならば花の自慢。それなのに花束持ってくるのは喧嘩売ってるわ」
ハリーはごくりと唾をのんだ。手の中のブーケと周りの花壇を見回す。仮に自分が庭でパーティーをするとして、花束を贈られたらアストリアの言う通り、喧嘩を売っているとしか思えないなと納得した。
「……ごめん」
もはや謝る以外の選択肢が無くて、ハリーは陳謝した。
「……ふふふ、あはは、本当に冴えない人!」
頭を下げるハリーに、アストリアが笑い出した。彼女は楽しそうにハリーの手からブーケを取り上げた。
「これ、もらうわ。死ぬほど冴えない人に出会った記念に」
「……なんか、喜べないな」
首に手をやり、ハリーはうなだれた。
「喜んでたら異常だわ」
アストリアがツンと顎を逸らす。
「……そうだね」
今までずっと我慢していた大きなため息がとうとうハリーの口から出て行った。
もう全部どうでもよくなって、ハリーはアストリアに向き合った。
「全然話変わるけどさ、僕って呪い持ちなんだよね」
唐突な話題の変更に、アストリアの眠たげな青い目がぱちくりと見開かれた。
「しかも、周りから無視されるっていうか、影が薄いっていうか、そういう感じの」
相手の反応にハリーは少ししり込みしたが乗り掛かった舟である。話し続けた。
「この間なんか禁じられた森のケンタウロスに森に近寄ったら命は無いぞって脅されたんだ。ドラコは違うっていうけど僕は呪いのせいだと思うんだよね」
「……呪いまで冴えないの?」
コトリと可憐に頭を捻ってアストリアが言った。
「え、結構深刻な呪いじゃない?僕、そのせいで無視されるし友達出来ないし、忘れられるよ」
「ふうん」
ハリーの真剣な顔をアストリアはしばし見つめた。
「でも私はちゃんとハリーのことわかるよ」
「ありがとう」
思わぬ返答に、ハリーはちょっと気恥ずかしくなった。大げさに嘆いてしまったのが特に恥ずかしい。
「呪い持ち、か。……私もって知ってて言った?」
じっと見つめて逸らされない青い目に、ハリーは唇を噛む。ずるいことをしただろうか。
「うん」
「……同情とか仲間意識とかお断りなんだけど」
厳しい言葉に、ハリーはぎゅっと目を瞑る。
「でも、なんか、あなたならいいわ」
ハリーは大きく目を開ける。
「いいの?」
眼前の青がさらに煌めいて見えた。
「ええ、だって、かわいそうなんだもの。私も同情してるからお互い様ね」
ハリーは言葉が出てこなかった。かわいそうと言われてちょっと悔しくて、でも微笑むアストリアには馬鹿にしてる感じが無くて、自分の気持ちをどう表現していいかわからなかった。
「友達になってくれる?」
そのせいでやっと出てきた言葉はひどく的外れになった。
「……お試しなら」
そう返してきたアストリアもなんだか少し気まずそうだった。
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2021.02.05 10:25