いつか僕は夏に出会う


 アーサーがそのゲームを始めると、夏が来たなと森羅は実感する。扉を開けた形のまま、森羅は少し止まっていた。
 テレビの前に座り、画面を見つめるアーサーが窓の向こうの青空からくっきり浮いていて、影になっていて、薄暗く見えたからだ。
 冬の朝に、霜柱を踏むような慎重さで森羅は部屋に足を踏み入れた。アーサーのやっているゲームが見えていた。このゲームをしている時のアーサーはいつもより割増で浮世離れする。
 訓練校から同じゲームをやり続けているのを森羅は知っていた。
「また、やってんのかよ。」
 もう何度もやってるところに出くわしているせいで、森羅はゲームに飽きていた。
「称号が取りきれてないからな。」
 ぽちぽちとコントローラーを操作し、アーサーは機械的にゲームを進めていく。
 オープニングが始まった。森の中に暮らしている親子の元に強盗が入るところからこのゲームは始まる。主人公は、父親に首飾りを託され一人逃げ延びるのだ。
「俺もう見たくねーんだけど。」
「じゃあ見んな。」
「テレビでやってたら見えんだろ。」
 森羅とぐだぐだ言い合いながらもアーサーは淀みなくゲームを進めていく。前の周を引き継いでいるからもうレベリングは必要ないらしく、戦闘もとっかかりなく終わった。そしてまた新しいイベントが始まる。
 森羅は自分の椅子に座り、アーサーが無表情でイベントをこなしているのを眺めていた。アーサー越しにテレビ画面もぼんやり見える。画面の中では主人公の少年が首飾り由来の遺跡にたどり着いていた。
 彼は家に押し入ってきた組織を見つけ、物陰で息を潜め観察していた。
「悪魔崇拝で炎をモチーフにするの悪趣味だよな。」
 机に頬杖をつき、誰に聞かせるともなく森羅は呟いた。
 このゲームを聖陽教を国教にしている東京皇国で発売するとはなかなかの反骨精神だと思った。
「悪魔であるお前が炎を出すのがいけない。」
 アーサーは振り向きもせずに言った。
「俺は悪魔じゃねぇ!」
 相手の声に覇気がないせいで、森羅も悪魔と呼ばれても怒りきれず、アーサーの頭を少しだけ蹴った。
 窓の外から子供の声が聞こえてくる。楽しそうな甲高い笑い声が建物に反響してダブっていた。
「なんていう称号が足んないの?」
 長らく付き合わされていたが、恐ろしく興味が湧かなかったせいで聞いていなかった。
「n回目の到達者ってヤツだ。」
 アーサーがぼんやりと答える。
「ふーん、達成条件とかあるわけ?」
「名前からして何周もクリアすることでもらえるヤツなはずだが、わかんねぇ。」
「攻略本とかに書いてないの?」
 ここまで何年も続けていて手に入らないのなら流石にそろそろ諦めても良いんじゃないかと森羅は思った。
「そんな邪道に進むのは悪魔だけだ。」
 だけどアーサーは嫌そうに森羅を振り向いた。
「は?お前だってゲームの攻略本持ってんだろが。」
 ピキッと森羅のこめかみに血管が浮き上がる。
「全部クリアしてから読むのが楽しいんだよ!」
「うえ、ギークじゃん。」
 いきりたつアーサーに森羅はげんなりした。
 ゲームのことになるとアーサーは平時の三割り増しでめんどくさくなる。森羅は突っ込むのをやめて、サッカーボールを持つと部屋から出ていった。
 次の日もアーサーは空いた時間を使ってはゲームを進めていた。基本的に森羅も同じ時間が空いているので、アーサーがイベントをこなしていくのを見ていた。
 このゲームは消えた父親とそれを探す少年、少年を追う謎の組織で話が展開されていく。訓練校時代にこのゲームのストーリーを知ってから、森羅はなるべくプレイ中のアーサーと一緒にいることにしている。
 父親というものにアーサーはちょっとだけ敏感だった。いつも纏っている騎士の鎧がほんの少し欠けるくらいには父親という存在を気にしていた。
 何があったのかは知らないけど欠けている時のアーサーの雰囲気は森羅も身に覚えがあるものだったので、自分がして欲しい気遣いをしていた。
 だんだんと物語が佳境に入っていく。国中の遺跡を巡り、父親の影を追いながら少年は首飾りに紋様を刻んでいく。
「……この首飾り、綺麗だよな。」
 夕食後の自由時間、机の上にサッカー雑誌を広げ、森羅はゲームに付き合っていた。
「紋様が刻まれるごとに輝きが増していくからな。悪魔には綺麗に見えるのだろう。」
「悪魔じゃねーし。」
 ストーリーを知っているから、森羅には集まっていく紋様が何のためのものか知っていた。しかし主人公の少年は何も知らず、謎の組織を倒すためのものとして集めていく。
 やがて、少年は最後の遺跡に入る。組織の人間を倒し、最奥部に続く扉の前にたどり着く。そこには見知った人影があった。
 父親の姿がそこにあった。父の姿に少年は戸惑い足を止める。すぐに足止めしたはずの組織の人間が追いつく。
 イベントが始まった。狼狽える少年に父親が首飾りを寄越せと迫る。組織の人間が少年を庇い、負傷する。そこでようやく少年は首飾りの正体を知る。
『その首飾りは、国中に散らばる悪魔の魂のかけらを集め、この遺跡に眠る体を呼び覚ますもの。君の父親は悪魔復活を目論みて国から追放を受けたんだ。』
 少年の心は揺らぐ。恐ろしい形相の父が信じろと手を伸ばしてくる。組織の人間、黒服の青年が少年を庇い渡してはいけないと止める。
 恐ろしいほど冴え冴えとした目でアーサーはイベントにのめり込んでいた。
 森羅は画面を見ずに、そっとアーサーの隣に座った。
 ポンッと音がして、選択肢が表示される。
『君は誰を信じる?
→ 黒服の青年
 父親 』
 アーサーがコントローラーを森羅に押し付けた。森羅はそれを無言で受け取る。
「悪魔に変貌する瞬間は悪魔によって成されなければ。」
 一番初めに森羅に選択を委ねた時のセリフと同じセリフをアーサーは呟いた。
 森羅はいつも黒服の青年を選んでいた。そうすることで悪魔降臨は不完全となり、依代になった父親を倒せるからだ。
 そしていつもエンディングにたどり着いていた。
 だけど今回、森羅は父親を選んだ。
 もう何度も繰り返し、父親を信じないことを選べないアーサーのために、森羅は選んでやった。
 きっとアーサーは父親を選んでバッドエンドになるのが怖いんだろう。
 そう思って森羅は気がついた。両親に置いて行かれたアーサーが無意識に彼らを信じたいと願っていることに。
 でもずっと愚直に信じているだけでは何も進まない。アーサーがアーサーらしく天衣無縫に生きるのならそろそろ選ばなくてはいけないのだ。
 だから森羅は代わってやった。無理矢理、選択肢を先に進めた。
 そこからどうなるかは知らないけど、飽き飽きするほど付き合わされたのだ。ゲームをバッドエンドにするくらい良いだろう。だってアーサーには第八があるのだから。森羅の指がコントローラーを操作した。カチッと選択肢の矢印が動く。
「貴様!とうとう本性を現したな!」
 森羅がAボタンを押した途端アーサーが森羅を押し倒した。胸ぐらを掴み、森羅を真上から睨みつけている。
「うっせー!もう俺はこのゲーム飽きたんだよ!」
 お前の感傷に付き合うのもな!と森羅は言外に叫んだ。
 本当に飽き飽きしていた。第四で天照に乗っ取られた時、アーサーは無遠慮に森羅の胸の内を暴いたのだ。
 森羅だって無神経に背中を突き飛ばしたい。
 ゲーム画面がパッと光った。
 床に転がったまま、二人はテレビ画面に釘付けになった。森羅はおどろおどろしいBGMがかかると予想していた。だけどテレビからは天から降り注ぐ鈴の音みたいな音楽が流れ出した。
 真っ白な画面の中にセリフが浮かびあがる。
『アーサー、ありがとう。どうか私を止めておくれ。』
 父親のセリフだった。主人公の名前を自分の名前に設定していたアーサーは唖然してとそのセリフを見つめていた。
 ゲームが巻き戻る。ぐるぐるとイベントのシーンが巻き戻っていく。やがて、真っ暗になった。
『ここは、どこだ……?』
 主人公の少年は薄暗い森の中で目覚めた。そこは物語が始まった場所、少年が父親と暮らしていた森だった。
「これって続き?」
 ひそりと囁かれた森羅の疑問にアーサーは答えなかった。彼はスッと森羅の上から退くと、コントローラーを握った。放置された森羅は寝転がったまま体を横に立て、頭を腕で支えた。
 アーサーがらしくない静謐さで、物語を進めていく。
 目覚めた少年は今まで散々己を妨害してきた黒服の青年になっていた。
 時間が巻き戻ったのだと理解した彼は今度こそ父親を止めるため、真実にたどり着くため、行動を始めた。
 一週目と同じ行動をする自分自身を妨害しながら父親が研究していた悪魔について調査をする。
 少年の時とは違う危険や、歯痒い選択を迫られながら青年はどんどん真実に迫り、成長していく。
 脅威の集中力でアーサーはゲームを操作していた。その様子を眺めながら森羅は明日が非番でよかったと安心していた。
 きっとアーサーはクリアするまでゲームをやめないだろうから。
 今の彼にはそういう一種の緊迫感があった。
 辺境にある研究施設の跡地で、青年は父親に関する記録を見つけた。
『実験体0318に悪魔の紋様を移植。経過観察。』という文章の横に添えられていたのは幼い父の写真だった。青年の知る父とは全く違う姿だったが、父親だと確信していた。その写真の父は自分にそっくりだったからだ。
 青年はようやく真実にたどり着いた。父は悪魔を復活させるために研究をしていたのではなかった。自分の体に埋め込まれてしまった魂の一部を引き剥がすために足掻いていたのだ。
「うわ、すげ。」
 森羅は思わず感嘆の声を漏らした。今までのストーリーに織り込まれていた謎が一気に解けていく。
 正直RPGの金字塔と言われるほどのものか?と首を捻りながら今まで見ていたので、この展開には舌を巻いた。
 アーサーは無言だった。いつもだったら悪魔が憑いてるなんて場面があればすぐ「お前の仲間だ。」などと余計なことを言ってくるのに、何も言わなかった。
 森羅はアーサーの顔を見なかった。背中だけ見ていた。今は誰にも邪魔されてくないだろうと分かっていた。
 全く違う心持ちで森羅は再び最後の遺跡のイベントを見ていた。
 最奥部の前で過去の自分に追いつく青年。悪魔に乗っ取られている父親と相対し負傷する。その瞬間また選択肢が出た。
 首飾りを少年から受け取るかどうかという質問だった。だが、質問文は今までのストーリーを知らなければそうとわからないものだった。
「父親を信じる?
→ 信じる
 信じない 』
 淀みなくストーリーを進めていたアーサーがぴたりと止まった。迷っているみたいだった。彼は少し揺れ、窓の外の夜空を見上げた。そこに何が見えたのだろうか。アーサーが何かに気づいたように目を見開いた。
 そして迷いなくAボタンを押した。
 信じる。を選んだ。
 森羅は物語を固唾を呑んで見守った。今はもうバッドエンドでも良いとは思っていなかった。どうかハッピーエンドになりますように。と祈っていた。
 ゲームの中の青年は、首飾りを父親に投げつけた。父親の体から黒いモヤが立ち上り、首飾りと一体になった。瞬時に最奥部の扉が開く。
 父親の体はドサリと地に伏した。
『悪魔が完全体になって復活した。だけど、僕が倒す。今の僕と過去の僕の力があれば……』
 青年のモノローグとともに最終戦闘に入った。
 ラスボスだけあって悪魔はえげつない体力と無茶苦茶な攻撃力をしていた。だがアーサーは不敵に笑った。
「フッこの程度のパワーで騎士王を倒せると思うなよ。」
 確かにこの程度であった。何年も何年もかけてアホほど周回を重ねていたアーサーのキャラはステータスが全てカンストしていた。装備も最上級のものを身につけている。悪魔のせこいギミックなんか歯牙にもかけず、あっさりと倒してしまう。
 森羅はあんまりにあっけなかったので、ちょっと笑った。三ターンくらいで終わってしまって悪魔が可哀想なほどだった。
 戦い終えたアーサーはスッキリした顔でエンディングを見ていた。
 エンディングの最後でレベルアップ音が鳴った。
『称号 n回目の到達者 を獲得しました。』
 
「騎士王にかかればこの程度造作もない。」
 朝日に照らされながらアーサーが言い切った。いつの間にか夜が明けていたみたいだ。森羅は呆れてアーサーを見つめた。
「クリアまで三年かかってんじゃねえか。」
「フッ」
 アーサーは晴れ晴れと笑っていた。
 父を信じ続けた少年は悪魔を倒し、夜明けを迎えた。
 森羅の望んだバッドエンドはハッピーエンドになった。
 こいつに関わると何もかもうまくいかないよな、と森羅は緩く笑みながらため息をついた。
 
 
 

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