思い出だけは燃えないで

 炎に包まれた記憶がある。高校の時、一つ上の先輩の人体発火現象に居合わせたのだ。あれからもう十年以上経つのにいまだに私の中の炎は消えていない。
 大学を卒業し、文房具屋の店員になってあくせく働いていてもふとした時に炎は燃え上がる。
 私はいつも昼食を職場近くの公園で摂る。割と広い公園で、様々な植え込みや花壇がある清々しいところだからだ。蛍光灯の下で昼だか夜だかわからない、変に薄暗いような埃っぽい店で働いていると、気が滅入る。せめて昼くらいは太陽の下で過ごしたいと私は冷凍食品を弁当箱に詰め、公園で過ごしているのだ。
 昼間の公園というのは大して代わり映えしない。毎日散歩に歩く老人や、ランニングをする青年。休日であれば子供が増える程度で版画のように毎日同じ光景だった。
 しかし今、私の視線はある場所に釘付けになっている。場所というか、人だ。少年が一人薔薇の生垣に埋もれるように立っていた。その少年は後ろ手に腕を組み、誰かを待っているみたいだった。
 私は別に彼がかっこいいから見ていたとかそういうわけではなかった。私は彼が特殊消防隊のツナギを着ていたから見ていた。
 彼はツナギの上半身を脱ぎ、腰に巻いていた。だからぱっと見で特殊消防隊所属だとわかる人間は少ないだろう。だけど私には、そのオレンジ色が炎のように揺らいで見えていた。
 記憶のフィルムが燃え上がる。何度再生しても、消し炭になっても、その記憶は同じ熱さを持って燃え上がる。私の心は一瞬で高校時代に連れ戻された。
 放課後、夕陽が差し込む図書館。カラスの鳴き声と小学校から聞こえてくる帰宅の放送。私は制服を着て、閲覧席に座っていた。
 手には詩集を持っていた。校舎の中に人気はなく目の前に座る先輩が本を捲るパラパラという音くらいしか聞こえなかった。
「もう帰ろうか。」
 そっと窓を見上げて先輩が聞いた。私はその横顔が夕日に照らされるのを見ながらうなづく。輪郭に日が照って、溶けて消えそうだと思った。
「あまり暗くなると冷えるしね。また明日も来るだろう?」
 意識して笑ったのか、先輩の眉根は不恰好に寄っていた。私は名残惜しく感じながらもまたうなづく。
 先輩の不器用なところが好きだった。笑うのに失敗するようなそんなところが好きだった。
「先輩、詩集……」
 面白かったです。と続けるはずだったセリフは途切れた。煙が上がる。夕日に焦がされてしまったみたいに先輩の肌がみるみると焼け焦げていく。
「あ、あ、あ」
 私の口から漏れるのは途切れがちな音だけだった。体が固まってしまって動けなかった。燃える。燃えている。人が、先輩が、燃えていた。
 ガタン。椅子が音を立てて倒れた。もがき苦しみながら先輩がたちあがっていた。ゆらゆら、ゆらゆら、炎の熱に煽られる埃みたいに先輩は窓ににじり寄っていった。夕陽が窓を真っ赤にしていた。揺れる先輩は陽の光に溶けるみたいに燃えている。私は椅子に座ったままそれを見ていた。
 火が、本棚に燃え移っていた。室内の温度が上がって、煙に咳き込んでようやく私の体は動き出した。
 震える足を叱咤して、扉へ走った。どさどさと本が燃え崩れる音がした。私は無我夢中で取っ手を掴み、押し開けると廊下にあった火災警報器を叩いた。壁に縋り、へたり込んだ背中に熱を感じて振り向く。
 扉の向こうで、先輩と過ごした図書館が燃えていた。一緒に読んだ本も座った椅子も、全部燃えていた。そして、窓辺には焔人になってしまった先輩が、立ち尽くしていた。
 そこで私は気を失い、気がついたら病院にいた。
 自分の顔を覗き込む消防官のオレンジのツナギ。その色と現実の色がリンクして、私はハッと我に返った。
 いつの間にか、オレンジのつなぎの少年は二人になっていた。金色の神の少年が増えている。楽しそうな話し声が聞こえてきた。
「シンラ、これは古の賢者のもとで手に入れた風魔法の杖だ。」
「駄菓子屋で買った風車だろ。」
「そしてこっちはウォーターボール。」
「水風船な。」
 金髪の少年が山ほど買い込んだ駄菓子やおもちゃを黒髪の少年に見せている。あまりにも微笑ましい光景で、私はポカンとしてしまった。
 金髪の少年が次々と出す品を、黒髪の少年が片っ端からもとの紙袋に詰めている。
「このウィンドワンドはシンラにやろう。」
「名前だっせぇ。」
 金髪の少年は何個も風車を買い込んだらしく、そのうちの赤いものを黒髪の少年に渡した。
 黒髪の少年は迷惑そうにしながらも受け取った。
 そんなものを持ったら燃えてしまう、と私は思った。薔薇の生垣も風車もオレンジの炎に燃やされる。唐突にそう思った。
 幻覚なのはわかっていた。だけど燃える先輩と少年たちが同じ存在に思えて仕方なかった。
 特殊消防隊は能力者の集団だ。彼らは自ら炎を出す。自ら燃え上がる。私には、それが命を燃やしているように思える。
 せめて少年たちが持っているものが鉄や石ならいいのに。そうすれば燃えないのに。私は詩集をなぜ手放してしまったんだろう。
 黒髪の少年が眉を寄せて笑う。金髪の少年に笑いかける。ああ、本当に思い出だけは燃えないで。

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