まいまいまいご
ふとした瞬間に現実がわからなくなる。
いや、現実がよりはっきりすると言ったほうが適切だろうか。
アーサー・ボイルは夢の中を生きている。アーサーにとって世界とは不思議で満たされていて、幻獣や魔獣、悪魔や妖精の痕跡がそこかしこにあるものだった。
その不思議はアーサーの日常で、特に強く意識することではない。上が上であり、下が下である世界に人が疑いを抱かないように、アーサーも彼らの存在を疑ったことはなかった。
そんな風に生きるアーサーを理解する人間は少ない。多くの人間に馬鹿にされてきた。アーサーからすれば何故そんな呑気に自分のことを否定していられるのかわからない。だって否定する彼らが信じる常識も、ちょっと踏み外せば全部ひっくり返るものなのに。
「ん……」
出先で取り出したスマホの電池が切れていた。アーサーをここまで連れてきた、尻尾の長い黒猫はもうどこかに行ってしまった。
住宅街の中、商店もない場所でアーサーは一人ポツンと突っ立っていた。
「.……転移トラップを踏んでしまった。巻き戻しの魔具もちょうど切れているし、一体どうしたものか。」
ここらのマップはまだ掌握し切れていないというのに、とアーサーはつぶやいた。
焦ってはいなかった。ただ、帰れないなとぼんやり思っていた。
第八に帰らなくてはいけないと頭では分かっていたけど、全く危機感を感じられなかった。
アーサーの世界ならばどうにかなるだろう、なんていう漠然とした根拠があった。
アーサーはそのままぶらぶら歩き出した。適当な道を曲がり、面白そうな小道に入り、ブロック塀を越え、歩き続ける。
その間中ぼーっと色んなことを考えていた。
例えばこの世界を理解する人間は少ない、だとか。この世界とはつまりアーサーの世界で、理解者とは友人同僚上司のことだった。
数少ない理解者の中に、森羅の名は入ってしまう。理解者というか、ただ同じ世界を見てるだけだが、お互いを理解できるという点に於いては森羅は最上の理解者だった。
アーサーとは違い、森羅は無闇に不思議を信じてはいない。だけどそれは見ている場所が違うというだけのこと。同じ場所から違うものを見ていた自分の父とほとんど同じなのだった。
森羅の、ヒーローだ!という発言を聞く度に、アーサーは彼の幼い心の部分を見る。彼の正義の部分は家族を失った時から全く変わっていないのをアーサーは知っている。
四歳の時のまま、正義の心は止まっているのだ。だからあれだけ過酷な環境に身を置きながらも、純真さを失わなかった。未だに無邪気に自分を犠牲にしようとしているのだ。
森羅の正義に触れる度、アーサーは懐かしい気持ちと、もどかしさを感じる。早く動き出せばいいのにと思う。
そんなことをつらつらと考えていたら、いつのまにか寂れた通りに出ていた。白いガードレールが所々錆び付いている。道の少し先にバス停らしき屋根と、その隣に電話ボックスがあった。
アーサーは早速そこへ向かった。
「転移スポットがあるとは、ツイてんな。」
ギコギコ軋む扉を開けて、アーサーは中に入った。電話ボックスには緑色の公衆電話が据え付けられていた。アーサーは、受話器を持ち、耳に当てた。
「……壊れているのか?」
なんの音もしなかった。アーサーはジロジロと公衆電話を観察する。数字のボタンと、その上にお金を入れるスリット。赤いボタン……横に消防車の絵が描いてある。
「これだな。」
アーサーは戸惑いもせずその赤いボタンを押した。途端、受話器から電子音が聞こえた。アーサーは大満足でそのまま相手が出るのを待った。
しかし、受話器は一向に呼び出し音を発しない。首を傾げる。あまりに長いこと耳に受話器を当てていたら蒸れてきた。
アーサーは受話器を戻し、もう一度電話ボックスを見回した。
操作法が書いてある板を見つけたが、お金はあれども電話番号がわからない。
アーサーは首を捻る。お手上げだった。諦めて電話ボックスから出て、隣のバス停のベンチに座る。
車も人も通らない通りは、コンクリートの色も薄くて、空き地の向こうに見える空すら白けている気がした。
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