リンネ
びゅうっと風が強く吹いた。店先の暖簾が翻る。浅草ではよく見かける、その原国調のカーテンを潜るたび、森羅はタイムスリップしたような気持ちになる。
今日は桜備に頼まれた書類を紺炉に届けにきていた。そのついでに紅丸に軽く稽古を見てもらった。せめてものお礼にと、使いっ走りを済ませて森羅は町を歩いていた。
「元気な町だな。」
浅草は活気がある。祭りでもないのにどの住民も威勢よく大声を張り上げ、笑っている。それが入り組んだ小路に反響して、余計に賑やかだった。道行く家族に視線を奪われかけて、はっとする。早く第七に戻らなくては帰宅が遅れてしまう。森羅は足を速めた。
「えー!もう帰っちまうのか?!しけてんなぁ!」
「もっとヒカヒナと遊べよ、唐変木!」
「だー!お前らに付き合ってたら日が暮れちまうだろ?また遊びに来るからさ。」
挨拶を告げにきた森羅の両腕にヒナタとヒカゲがくっついている。まだまだ遊べ遊べと強請っていた。
「ヒカ、ヒナ、森羅が困ってんぞ。あんま引き留めると逢魔が刻になる。帰してやれ。」
わがままを言う双子をあやすように、紺炉が助け舟を出した。森羅は聞き慣れない言葉に紺炉を見つめた。
「逢魔が刻ってなんですか?」
「ん、夕方のことだ。駄々をこねる子どもにはこう言うんだよ。」
「ああ。そうなんですね、ありがとうございます。」
寝ない子誰だのお化けみたいなものか、と森羅は納得した。ぴかりと夕日が赤く光った。森羅たちにオレンジの光が反射する。太陽が沈もうとしていた。
「逢魔が刻じゃ仕方ねぇ!」
「仕方ねぇな!森羅、次はもっと遊ぶって約束しろよ!」
「指切りだ!」
あっさりとヒナタとヒカゲは森羅の腕を離した。その代わりに小さな小指を伸ばしてくる。
「?」
何を求められているのか分からず、森羅は眉を下げた。
「小指だせぇ!こゆび!」
「約束して詰めんだよ!」
動かない森羅に焦れて、二人は勝手に彼の手を取ると小指に自分たちの指を絡めた。
「え?」
詰めるって原国のヤクザ的なそれ?と森羅が顔を青くする間も無く、双子の調子っ外れな歌声が響く。
「ゆーびきりげーんまん、嘘ついたら針千本のーます!」
「針じゃ生まぬれぇな!」
「釘だ、釘!」
プツンと指を断ち切って、二人はわーきゃーと楽しげに笑った。森羅は困惑しながらも、おまじないの類かと安心した。原国式のものなのだろう。満足したらしい双子と紺炉に手を振って歩き出す。
街並みは赤い光に包まれて、人々の輪郭が曖昧になっていた。すれ違う誰かの顔も逆光になっていて見えない。行先も明るすぎて、森羅は目を細めながら歩いていた。
チリン……チリン……
鈴が転がる音がした。耳元で聞こえたそれに森羅は足を止め、辺りを見回した。陰になった小路のところに金の鈴が一つ、落ちている。なんだか無性にそれが気になって、森羅は小路に足を踏み入れた。赤い日差しが森羅から拭われていく。
鈴を拾い上げる。もう一度、チリン……と聞こえた。四、五歩先にまた鈴が落ちている。明らかに奇妙だ。だけどその時の森羅に話をそんな疑問は湧かなかった。落ちている鈴を次々拾って小路の奥に進んでいく。ふっとさらに陰が濃くなって、森羅は下げていた頭を戻した。
いつのまにかあたりは真っ暗になっていた。ぽかりと赤い鳥居だけその中に浮いている。夜になったのか、それとも建物が入り組んで陰になっているのか、森羅はわからなかった。
溢れんばかりに手に持った鈴を、鳥居の前に置く。がじゃり、山が崩れて醜く鳴った。
ヌッと鳥居の中なら手が出てきた。暗くてよく見えない、影みたいな手が小指を伸ばしている。ぱたぱたと雫が落ちる気配がした。濡れているのだろうか。森羅はわからない。頭がぼーっとして、ただ目の前の手と指切りをしなくてはいけないと思った。
ヒナタとヒカゲと約束したように、小指を伸ばして絡める。ベタベタした液体が手についた感触がした。
「ゆーびきりげーんまん、ゆーびきりげーんまん……」
子どもの声が四方八方から聞こえてくる。多重に重なり、森羅の脳をグラグラと揺する。目眩がして、強く目を閉じた。全身を何かが撫でていった。
次に目を開けた時、森羅は元の大通りに立っていた。白昼夢でも見たんだろうか。わからない。まだ霞がかった意識のまま、第八までの家路を急いだ。
「げっ、なんだこれ。」
教会の前まで来て、森羅はようやく自分のツナギにべったりと黒い汚れがついているのに気がついた。なんだかカピカピしていて払うと薄い赤黒い破片になった。手にも汚れが付いている。風呂に入らなければ、と森羅は思った。
まっすぐ自室に戻る。扉を開けるとアーサーがベッドの上でゲームをしていた。森羅はそのままズカズカ入って箪笥に手をかける。
「おまえ、何をしてきた?」
バチバチバチン!!!
アーサーの問いかけとともに部屋の灯りが消えた。ザッと闇が下りる。森羅は息を呑んだ。
「どこで約束した?」
闇の中でも淀みなくアーサーが続ける。森羅はどくどく鳴る心臓に恐怖した。訳がわからない。真っ暗になっただけなのに、なぜか汗が出てくる。闇なんて怖くないはずなのに、部屋の隅に視線がいって仕方なかった。
無言で硬直する森羅に、アーサーはベッドから降りて近づいた。森羅の頬を触れば汗でじっとりと湿っている。人肌の接触に安心したのか、森羅が強張った口を開いた。
「ヒカヒナとまた遊ぶって約束したけど……」
「そっちじゃない」
「あ?」
いつになく素直に答える森羅に、アーサーは眉を顰めた。わからないけどよくない感じがした。何か掛け違った違和感がある。
「二回目、あるだろ。」
「二回目……?」
ゆーびきりげーんまん、子供の声が蘇る。した、約束した、森羅はしていた。でも、一体何を?
「鳥居で約束した。」
誰とも何とも言わずにそれだけ森羅は答えた。それしか覚えてなかった。指切りした左の小指を見る。引き絞られたような鬱血が月明かりに見えた。
「お前は約束を滅多にしない。」
「は?」
「だから多分強いんだ。」
一人だけ合点が入ったみたいにアーサーがうなづいている。
「何と約束したのか知らん。だけどダメな約束なのはわかる。」
何言ってんだコイツと森羅は思った。長年電波に付き合ってきた森羅にも予測がつかない発言だった。
「なら俺と約束すれば良い。」
「なんでだよ。」
「騎士は誓いを破らない。」
つまり、まずい約束と正反対の約束をアーサーとすれば、得体の知れない約束は反故になる、ということだろうか。どんな理屈なのかわからないが自信に満ちたアーサーの声には説得力があった。
ギュッと左手が握られる。薬指だけ持ち上げて、アーサーはそこに口付けた。
「お前は俺が倒す。」
青い目が月明かりに光って森羅を見つめた。ようやく時間が戻ってきた。氷の中にいたみたいな金縛りが消える。ぎくりと背筋が伸びた。
「お前なんかに倒されてたまるかよ。」
湿った息が喉から出た。いつもの体温が帰ってくるみたいだった。ずるずると足元に何かがぐしゃぐしゃに絡み付いた。
何もないけど。
終わり
怪異との約束を自分の約束で上書きするめちゃくちゃ我強騎士王
(二人にとっての約束は死ぬほど重いので、ぽっとで怪異なんか相手になんねーよって話…にしたかった……)
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