苦いも甘いも

世紀末が終わった。伝道者は永遠に去った。

世界を飲み込んだ大火は結果的に森羅の踵に黒炭を残しただけで消えてしまった。

「大して変わりねぇな。」

ある夜、世界の変革を待つ第八の屋上で森羅はぼんやり呟いた。もうすでに焔人は現れない。特殊消防隊も役目を終えた。森羅も幼い時の夢通りヒーローになった。英雄ではなく、救世主であったけど、たしかにヒーローと呼ばれた。

「あ?何がだ?」

同じくぼーっと街の明かりを眺めていたアーサーがヘリにもたれかかっている森羅を見下ろした。

「俺。ヒーローになったのにな。」

「ふーん。」

アーサーは興味なさそうだった。だけど森羅もアーサーの返事に興味なかった。ふう、とだらしなくため息をつく。ヒーローになれば達成感か何かがあると思っていた。だけど実際には、ひたすら目の前の問題に足掻き続けて、気がついたら世界が平和になっていた。気が抜けたと言う言葉が一番ピッタリな気がした。

「燃え尽き症候群ってやつかな。」

「何だそれ、灰病にはなっただろ。」

「なったけど。もうすこし労われ、ボケ。」

アーサーの言う通り森羅の踵は炭化している。もう能力者自体、みんなの炎が弱くなっているから別に特段悲しくない。だけどもう空を飛べないんだな、とは思った。

「なんか夢が叶ってやる気が出ないって言うかさー。」

アーサー相手に愚痴ったって同情もしてもらえなければ解決もしない。わかっていたけど森羅は言わずにはいられなかった。騎士だヒーローだとやり合っていた相手だからこそだろう。なんとなく、森羅の結末を共有したかったんだと思う。

「じゃあ新しい夢作りゃいいだろ。」

「んなこと言ったってすぐ出来るわけねぇー。」

「雑魚め、俺は騎士王を経て聖騎士王を目指す段階まで進んだぞ。」

「ヤベェじゃん。」

アーサーの妄言にまともに付き合う気も起きなくて、森羅は硬いアスファルトのヘリの上で顔を転がした。

「……リヒトさんとジョーカー、どこ行ったんだろーな。」

二人は戦いが終わって平和になった途端、忽然と消えてしまった。脳裏に細長い彼らの影がぽかんと浮かんだ。

「真実?探しに行ってんじゃねぇか。」

「うーん、そっかぁ。」

アーサーの返事に首肯する。確かにその通りな気がした。きっと、明らかになった真実がまた謎を作ったのだ。一度世界の真理に取り憑かれた人間は謎を全て解き明かすまで放浪し続ける。森羅にはわからない渇望だったけど、一途に真実を思い続ける彼らはカッコよかったと思う。

「ダークヒーロー、いいな。」

自らをダークヒーローと称していたジョーカーを思い浮かべて森羅は言った。

「ヒーローの第二部は、ヒーローを助けるダークヒーローだろ!」

元気よく森羅は頭を起こした。戦隊モノでも仮面ライダーでも、主人公の味方とは言い切れないが正義に則って動いている銀とか黒とかのヒーローがいた。

本気でヤバいピンチの時に颯爽と現れるハードボイルドな彼らは数多の子供たちの心を魅了した。正統派主人公、ヒーローになり終えた森羅には魅力的な新しい目標だった。

「ダークヒーロー?じゃあタバコいるんじゃないか?」

「なんで。」

「ジョーカー吸ってた。」

「確かに。……俺もハタチ超えたしな。」

適当すぎるノリだった。森羅もアーサーもある種の五月病だった。仕方ない。二人は自分たちの炎を燃やし尽くしたのだから。

消防官として肺を大事にする必要ももうない。一回だけ、試してみるのもいいと思った。そういう悪いことを森羅はちょっとしてみたい気分だった。

思い立ったらすぐ行動派の二人は早速コンビニに向かった。宵の口の街は家路を急ぐ人や夜の外出をする人で溢れていた。

その中を泳ぐように歩き、森羅たちは最寄りのコンビニに入った。カウンターの後ろにずらりと並ぶタバコの種類を見て、森羅は困った。

ありすぎる。そもそも店員さんに注文するのも緊張する。

森羅は一通り銘柄を確かめると、雑誌コーナーに回れ右した。

「臆病風をひいたか。」

「吹かれた、な。……いやまだ準備が必要っつうか。どれにするか決めかねてるっつうか。」

好青年森羅は法的には合法の歳であってもタバコを買うのに緊張していた。言い訳しながら雑誌をじろじろ見て、トントンと踵を鳴らしていた。流行りの洋服や靴を纏ったイケメンが表紙でにっこり笑っていた。履いてる靴がイケてて、それに数秒だけ目を留めた。

立ち読みはご遠慮くださいと書いてあったから、雑誌コーナーを通り抜けて菓子が陳列されてる通路に入った。物珍しいものもないけど、チョコやポテチをチェックしていく。駄菓子が並んでるところでアーサーが足をピタリと止めた。

「おい、森羅。タバコあったぞ。」

「嘘つけ、菓子コーナーだぞ。」

ずいっと差し出されたそれは確かにタバコの形をしていた。ココアシガレットだったけど。

「ほらな、騙されねぇぞ。そんな子供騙し。」

「タバコ買うのに二の足踏んでるのだって子供だ。」

「じゃあお前買えよ。」

「いいだろう、俺は森羅より年上だからな。」

「3ヶ月しか変わんないじゃん。」

のそのそとアーサーがレジへ向かうのを森羅は見送った。どうせ銘柄がわかんなくて買えないだろうとたかを括って見ていた。

そうしたらありがとうございましたーと店員の声がした。森羅は嘘だろ?と手汗をかいた。俺はアーサーより意気地がなかったのか?と情けなくなった。はっきり言えばこの時の森羅は頭が弱かった。

「ほら、買えたぞ!」

得意げなアーサーが掲げたのはシールを貼ってもらったココアシガレットだった。買えてるけど買えてない。森羅はイライラした。でも何に怒ればいいか瞬時に口に出せなくて、その衝動のまま今度は自分がレジの前に立った。

「アメリカンスピリットください!」

目についた名前を言った。なんかジョーカーが吸ってそうだと思ったからそれにした。多分本物のジョーカーはリヒトが作ったヤバいやつ吸ってるだろうけど、森羅はパッケージで選んだ。

「はい。400円です。」

どれですか?とも聞かずに一番スタンダードなタイプを店員は差し出した。古株なんだろう。タバコを買う客の言葉少なさを知ってて、余計なことを聞かないのだ。森羅は身分証のICチップをかざして、タバコを買った。

あわあわ慌てながらタバコを持って、コンビニの脇にあった灰皿のところへ行く。アーサーはそんな森羅を笑っていた。ココアシガレットを食いながら。灰皿の横でココアシガレットを咥えているアーサーも十分間抜けな姿だった。

「えっ買えたけど、どうするよ……」

ぴりぴりビニールを剥がしてとりあえず一本出してみた。森羅は初めて鉛筆を握った赤ん坊のようにそれを逆さにしたり、撫でてみたりした。

「咥えるんだろ?」

とアーサー。

「始めにに火をつけんじゃないの?」

森羅も分からず首を傾げるだけだった。健康優良児二人は学生時代に不良な素行もしたことがなく、消防官になってからは健全な(一部を除いて)大人に囲まれていたから、タバコの吸い方がよくわからなかった。

「あっ、ライターがねぇ!」

完璧に買うのを失念していた。自分で炎を出せるので今までライターなど使わなかった。火のついてないタバコを咥えたってただのおのぼりさんだ。ジッとタバコの先を見つめる森羅に、アーサーがココアシガレットを突き出した。

「ん。」

ぽっと青い光が出た。砂糖の焦げる甘い匂いがした。

「テキトーに使いすぎ。」

とかなんとか言いながらも有り難くそれで火をつけさせてもらう。タバコの先が赤く光った。

「こ、これを吸うのか……」

心なしか指が震えた。未知の体験を前に、森羅は冷や汗をかいた。

「早くしろ。」

「あ?わかってるわ!」

森羅専用着火マンであるアーサーの一声で、森羅はタバコをくわえ、息を吸った。

途端に咽せる。

「うっぉえ、ゲホ。苦……まっず!!!」

即座に灰皿に放り込んで消した。じゅっと間抜けな音がした。

咳き込んでいる森羅をアーサーはニヤニヤしながら見下ろした。

「ふははは、馬鹿め。」

「んだと、コラ」

駄菓子を咥えながら嘲笑われるのはこんなに腹が立つものなのか。森羅はアーサーの首元を掴んで引き寄せた。半開きになっている口に自分の口を押しつけて、舌をねじ込んだ。苦味が残った唾液を相手の口に移す。擦り込むように舌をアーサーの薄いそれに合わせた。

唾液のぬちゃりという音がした。でも多分森羅とアーサーにしか聞こえてない。全部目の前を走るバイパスの騒がしさに隠れて消えている。

「うぇ、まっず……」

グッと森羅の肩を押して顔を剥がしたアーサーがえづいた。今度は森羅がにんまりした。

「ザマァみろ。」

口直しとして勝手にアーサーの手からココアシガレットを奪って食べる。甘くて美味しい。噛みごたえもあるし、100円しない。やっぱり買うなら本物よりこっちだとうなづく。

「ダークヒーローは無しだな。タバコが不味い。」

「うむ、ダークヒーローは無しだ。ジョーカーは味覚がおかしい。」

各々もう一本ずつココアシガレットを咥えて、アーサーと森羅は確信を持ってうなづきあった。

「どうせお前は普通のヒーローしか無理だ。」

「あ?」

唐突に貶されて森羅の眉間に皺が寄った。

「いいじゃねぇか、今度は靴履いたヒーローで。」

薄暗い中でもアーサーが少し笑っているのが見えた。

終わり

ハタチ設定なのに子供っぽくてごめんなさい…タバコ、吸ったことないんでマジカルタバコということでお願いします。

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