1-1 生き返った女の子

すべての生物に平等に訪れるものは何か。聞くまでもなくそれは死である。

死の克服は人間にとって永遠の命題であり、叶ってはならない願いである。

この物語はそんな死から取り残されていった者たちが、希い求めて、正しく死ぬための、そんな物語である。

一人は地獄に取り残されたもの。

もう一人は死に愛され過ぎたもの。

死を恐れ、拒み足掻け。

そして最後に知るのだろう、ああこれは安寧であった、と

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アルバス・ダンブルドアにとって未来はある程度予測しうるものだった。

すべてのものには兆しがあり、その兆しから物事を推測するのが彼はことさら得意であった。

そんな彼の度肝を抜く出来事が、今日これから起ころうとしているなんて誰が想像しただろうか。

それはまさに奇跡であった。

凄惨な現場だった。知らせを受け駆けつけたダンブルドアが目にしたのものは魂を失った母親と死の霧に包まれた娘、その娘を必死につなぎとめている父親の姿だった。

自分が為すべきことをダンブルドアは瞬時に理解した。父親、ジェームズはおそらく己の身と引き換えに娘を助けられる可能性があると知れば喜んで呪いを引き受けるだろう。学生時代から彼を知っていたダンブルドアは容易にその答えにたどり着いた。だからこそ苦悩した。娘、ハリーにかけられている呪いは死の霧だった。今日、この呪いを知っているのはおそらく自分と、魔法の真髄を追い続けていたヴォルデモ―ト、そして彼から伝授されたものだけであろう。死の霧を消し去ることはできない。ダンブルドアが出来るのは、その呪いを封じ込めるのみ。それも完全な封印ではなく、徐々に被呪者をむしばみ最後には死に追いやるだろうその場しのぎだった。

呪文の扱いは大変繊細な仕事だった。僅かでも綻べばハリーとジェームズ二人の命を奪ってしまう。その命を預けられる重さに、ダンブルドアは微かにひるんだが、すぐジェームズに声をかけた。

「ジェームズ、君の覚悟があるのならハリーを助ける方法がある。生半可なものではない。君の寿命も大幅に縮まるじゃろう。それでもやるかね?」

愚問であると知りながらも問う。愛する者の命が戻るのであれば、ダンブルドアとてなんでも差し出す。目の前で今際の際を渡ろうとしている娘を見ているしかない父親が、縋り付かないわけがないのだ。

蘇生の呪文をかけ続けていたジェームズに疲労の色が色濃く表れている。汗と涙でぐちゃぐちゃになっている顔をジェームズはニヤリとゆがめた。

「もちろん。」

その表情は学生時代と変わらず不敵だった。

ジェームズの隣にハリーを横たわらせる。その小さな体躯は呪いに蝕まれぐったりと力ない。

もはや虫の息であろう。急がねば呪いを移しきる前にその命が枯れてしまう。出来るだけ迅速に、しかし細心の注意を払って呪文を使う。

ニワトコの杖をハリーの肌に当て、一点に呪いを集めていく。一ミリの隙もなく呪文を編み、その中に死の霧を浚っていく。

魔法が杖を通っていくのを感じる。ダンブルドアはいま事象を捻じ曲げていた。限定的な時間操作とでもいえばいいだろうか。巻き戻った時間は再び同じように流れ出す。

その前に呪いを受け止め、矛先をジェームズに変えるのだ。時間はむやみやたらに触ってはいけない領域だ。極僅少な狂いがすべてを最悪に持っていく。

成ったものを取り消すことはできない。それが出来るのであれば、世に後悔など存在しないのだから。

死の霧がすべて杖先に集まった。これからこの呪いをダンブルドアがかけたものとしてジェームズに注ぐ。

身を割くような痛みであろう、時間のねじれをその身に受けるのだ。だけどきっと彼は耐えきるだろう。

愛するものの為であれば人は想像を超えた力を発揮する。愛というのは不確かであり、それ以上に強力だった。

愛するからこそ人は人であり、生き抜く術を得るのである。愛を知らず生きるのはもはや死より酷い。

痛みの為苦悶に歪むジェームズの顔をダンブルドアは見つめた。

自分が生している所業を余すことなく見届けなくてはならない。命を取り扱っている。それはいつものしかかる重みだった。

どれも等しく重い、捨てるものなど無い。だからダンブルドアは常に最良を選ばねばならなかった。己の為に、世のために。

今、また一つ決断が終わった。ジェームズが呪いを受け取った。死の霧は滞りなく彼の右手におさまった。真っ黒な炭と変わらぬ右手。もう杖を取るのすら難しいだろう。

魔法は正しく働いた。大業を終えたダンブルドアは杖をハリーに向けた。呪いを受け消耗し切った幼子を繋ぎ止めなければならない。いまだ予断を許さなかった。苦しむジェームズにシリウスが蘇生呪文をかけているのが視界の端に映った。リリーはすでに聖マンゴへ搬送されたようだ。

サッとハリーの上に屈み込む。どうか間に合うように、この最良をつかみとれるように、祈る気持ちは天に打ち捨てられた。

ハリーはすでに息をしていなかった。死の霧にさいなまれ、強引な方法でそれを引きはがされる負荷に幼い身体は耐えきれなかったのだろう。丸いふくふくとした頬からは血の気がうせ、かわいらしい唇は半開きになっていた。まだまだ小さい手は力なく地面に落ち、ぽっこりしたお腹が呼吸に上下することはなかった。

人生は最悪の連続だ。ダンブルドアの愛すべき者たちが死んでから、どれほど経っても悲しみや後悔は消えない。その痛みが同じような痛みを望んでいるとしか思えない。絶望は親しげな顔をしてやってくる。

まだ生まれ落ちたばかりの無垢な魂の死に、ダンブルドアの瞳から涙が零れ落ちる。

自分はまた取り落としたのだ。ハリーもジェームズも、全て。

亡骸を冷たい床に置いておくのが忍びなくてそっと抱え上げた。砂袋を抱え上げたような重みが腕にかかる。何度も腕に受けた感触だった。妹を抱き上げた時からこの腕に染みついて消えない感覚。ダンブルドアの罪の重さだ。良きものであるべく尽力してきた。それが妹へ送れる唯一の懺悔だからだ。だが、報われるとは限らない。ダンブルドアの瞳に再び涙が浮かぶ。泣く資格などないとは百も承知だった。だが、ダンブルドアは泣いた。こんなに悲しい死が他にあるのだろうか、幼子の死は受け止めるには悲しすぎた。それ以上に命がけで娘を救おうとしている父に何と言葉をかければいいのか。収まらない気持ちは涙となり地面を濡らす。

罪は許されない、後悔という形でダンブルドアに表れる。

この世界には神などいない。

気絶していたジェームズが不意に目を覚ました。

「ハリー…」

呪いに耐えきった彼のか細い声が我が子を呼んだ。

その言葉を辿りハリーに視線を戻したダンブルドアの背筋がゾッと凍った。

生を終えていた幼子のまつ毛がかすかに震えている。頬に赤みが戻り、胸が呼吸に上下する。ゆるゆると瞼が持ち上げられ、翠の瞳が現れた。

蘇りだった。人間の身で為し得てはいけない事象だ。鼓動がどんどんと早くなる。老年に入ってからたいていの出来事では動じなくなったと思っていたが、ありえない事実にダンブルドアは言葉を失い動くこともかなわなかった。

やがて完全に覚醒したハリーが不思議そうにダンブルドアを見つめ、それからあたりを見回した。うらびれた廃工場の片隅に横たわっている自分の父親を見つけて目を輝かせた。

「ぱぱ?」

むっくりダンブルドアの腕から起き上がったハリーは、自分の父親めがけて駆け出す。

「ぱぱ!」

それは仕事ばかりでなかなか会えない父親に久々に会えた幼児の反応だった。つい先ほどまで死にかけていたなんて思えないほど元気よく、ハリーはジェームズに抱きついた。

「ハリー、ハリー、良かった、本当に、ああ…」

ハリーを胸に抱きしめて、ジェームズは泣いた。

ぼたぼたと大粒の涙がハリーの顔を濡らす。

「たいたい?」

心配そうに八の字眉をしたハリーが父親の顔をたたいていた。

「よもやこんな、」

ハリーの無事を喜び合う人々の後ろでダンブルドアが呆然とつぶやいた。あの子は確かに死んでいたのに、今目の前で動いている。蘇りなんて古代の魔術でも不可能である。それにあの瞳。ハリーはリリー譲りの赤毛とジェームズと同じハシバミ色の目をしていたはずだ。だが、さっき見た瞳は緑色だった。

奇跡などダンブルドアは信じない。奇跡があるのならもっと救われる命があったはずだ。だから、これはきっとなにかの魔法なのだろう。そうでなくては、あの子のこれからが明るく照らされた未来ではなくなってしまう。

この世界には神などいないのだから

Hally•Potter

Hally-Holly 西洋ヒイラギ 花言葉は神を信じます。

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