1-3死人に口無し

アルバス・ダンブルドアにとって苦手な人物は誰かと聞かれたら唯一名前が上がるのがバチルダ・バグショットだ。齢90を超えたダンブルドアの親より年上だと言えばどうして頭が上がらないのか少し理解しやすいだろう。

マグルより寿命が長い魔法族ではあるが、バチルダほど長生きをしている人物はそうそういない。人間の寿命というのはある地点を超えると本人の気力に大いに左右される。彼女がここまで長生きをしている理由はおそらく尽きぬことを知らぬ歴史への探究心であろう。

近年の魔法史の第一人者といえばバチルダであり、1世紀を越してなお矍鑠とした老婦人であった。

そんな立派な人物がなぜ苦手なのかと不思議に思うかもしれない。

彼女はダンブルドアと隣人だったので、彼の若い時分をよく知っていた。誰だってティーンエイジャーの時は少し羽目を外したりする。落ち着いた頃に思い出して羞恥のあまり床を転がる様な記憶の一つや二つみんな密かに持っている。だいたいその密かな記憶は親と共有していたりするのではないだろうか。ダンブルドアにとってその親がバチルダにあたる。

なるべく会いに行きたくない気持ちをわかってもらえるだろうか。

最終的には頼まざるをえないと知っていても、ハリーの教師役をバチルダに依頼することをダンブルドアは渋っていた。

何故なら彼女の前では全ての事実は歴史として語られる。その話がダンブルドアにとって隠しておきたい事実であっても、そんな配慮がされるわけがないのだ。

ハリーに自分の若かりし頃の過ちを知られたくなかった。あの一人ぼっちで寂しげな女の子にとってダンブルドアは優しくて陽気なおじいさんでありたかったのだ。

しかしダンブルドアがどれだけ葛藤していても、学校に通っていないハリーに教師は必要だったし、その役目にはゴドリックの谷に住んでいるバチルダがぴったりだったのだ。

ため息をつきつつ、ダンブルドアは今バチルダの家の前に立っている。このドアをノックして仕舞えばもう逃げられない。彼女の研究の話を聞くのはいい。だがその合間に挟まれる自分の情けない話を再び聞くのが辛かった。もうダンブルドアだって90を越しているのに彼女の前では学生時代と変わらない気持ちになる。尤もそんな気持ちになる人物がまだいるという事実は少しダンブルドアの気持ちを楽にさせるのだが。楽になったところで憂鬱なのに変わりはないが、いつか馬鹿な青年だったダンブルドアを知るものがいなくなると思うと、もう少し長生きして欲しいと寂しくもなる。バチルダはダンブルドアにとってそんな複雑な感情を向ける相手であった。

トントントントン、扉を4回ノックする。

「どうぞ」

バチルダの声と共に古びれた木の扉がゆっくり開いた。

「お久しぶりじゃの、バチルダ。」

出迎えがない玄関をくぐり、そのまま廊下を抜けて居間へ向かう。

家の主は暖炉のそばに腰掛けて分厚い本を読んでいた。

帽子を脱いで挨拶をしてようやくバチルダが顔を上げる。

「アルバス、今日は何の用なの?」

その問いに微笑んで勝手に向かいの一人がけソファに腰掛けた。滅多にないダンブルドアの不躾にもバチルダは何も言わない。

「君に先生をお願いしたくての」

「何?ビンズ先生に何かあったの?彼、ようやく授業に飽きたのかしら?」

「いやビンズ先生は健在、といっていいのかわからんが未だに授業を続けてくださっているよ。……ホグワーツではなくての、ハリーの先生をお願いしたいのじゃ。」

「ハリー?どこのハリー?」

バチルダがハリーを知らない。その事実にダンブルドアは驚いた。

ジェームズとリリーはバチルダと仲良くしていたからその娘であるハリーも彼女にあっていたと聞いていた。それにたしかリリーもよくハリーを連れて遊びに行くといっていたと思う。

前々から懸念していたことが、より深刻さを増した。

ハリーは存在感が薄い。今までは鮮烈な印象を放つ両親に隠されてしまうのだと思っていた。しかし会っていたはずのバチルダが覚えていないとなると話が変わってくる。彼女は記憶力が恐ろしいほど良い。一度あって会話をした人物の顔を忘れるわけがないのだ。

「ジェームズとリリーの娘じゃよ、君も会っているだろう?」

「あの二人の娘……ええ、ええ、いるとは聞いたわ。そうね、リリーが連れて挨拶にきたのも覚えている。あら、だけどどんな子だったかしら……いやね、私も歳には勝てないわ。」

存在を知っている、連れてきた覚えもあるのにハリー本人の記憶だけすっぽり抜けている。額に手を当て首を振るバチルダをダンブルドアはじっと見つめた。

共有すべきだろうか、ハリーが生き返ったという過去を。現時点でわかっている事柄だけで導き出した推論だが、ダンブルドアがハリーの存在をしっかり覚えていられるのは彼女自身の強烈な記憶を持っているからだ。シリウスやスネイプの様に誰か(この二人の場合は彼女の両親)を通した記憶では長く離れているうちに忘れてしまう。実際ジェームズが健在だった頃はあんなに頻繁に訪れていたシリウスが、今では後見しているハリーの様子をちらとも気にかけない。元から直情的な性格であったから、目先のことに捉われているのだろうとハリーへのケアはダンブルドアがかわりに行った。仕方のない男だと呆れていたが、きっと違うのだろう。彼はハリーのことを忘れているのだ。

恣意的な何かを感じた。

バチルダは魔法史だけに特化しているのではない。古代の魔法や呪文を知らずに魔法史は語れない。現存している魔法族で最も多くの呪文を使用できるのがダンブルドアなら最も多くの魔法を知っているのがバチルダである。

もしかしたらハリーが陥っている不可思議な状態について彼女なら何か知っているかもしれない。逡巡の後ダンブルドアはバチルダの知恵を借りると決めた。

「バチルダ、これは決して他言して欲しくないのじゃが、ハリーは蘇りを行った。」

「なんですって?」

学者らしい柔軟さでバチルダは表情を真剣なものに変えた。思考が排他的では歴史家は務まらない。馬鹿げた出来事が多く行われたのが歴史なのだ。全ての可能性が存在する。

「六年前の11月、ハリーは死喰い人に拐われ、死の霧の呪いをかけられたのじゃ。わしらが到着した頃にはリリーは拷問により心神喪失、ハリーは瀕死であった。しかるべき措置を持って死の霧はジェームズが引き取ったが、彼女の身体は耐え切れず、一度死んだ。確かに死んでいた。わししか見てはいないが受けあおう。」

「もしそうならば何か魔法が作用したに違いないわ。でも蘇りなんてあり得ない。それこそ分霊箱でも作っていない限り……1歳でしょう?他にも何か変わった所あるんじゃない?」

「ああ。目覚めた時にハリーの瞳は榛色から緑に変わっていた。」

「容姿の変化……ダメだわ私の知っている魔法の中で該当するものはないわ。」

バチルダが知らないというのならばもはやこの世の誰も知らないだろう。元から先行きの見えなかったハリーの謎が暗礁に乗り上げた。

「きっと複数の魔法が絡まり合ってそうなったに違いないわ、アルバス、私も調べてみます。」

新たな謎の登場にバチルダの瞳が輝いた。

「寿命がいくらあっても足りない、この世は不思議なことだらけね。」

嬉しそうに微笑むバチルダがいそいそと席を立とうとした。それを逃してはならぬと大急ぎでダンブルドアは当初の目的を告げる。

「それでは、ハリーの教師役を引き受けてくれますかな?」

「もちろんよ、研究だけじゃなくってちゃんと教えるから任せてくださいな。」

暖炉の脇に腰掛けていたのはもうただの老婆ではなかった。生き生きと活力が漲り新たな謎へ挑んでゆく冒険者だった。張り切って書庫へ向かおうとする彼女に暇を申し出てダンブルドアは席を立った。

この日、初めてダンブルドアは清々しい気持ちでバチルダの家を後にした。

自分の過去に波及がいかなかった。それは素晴らしい出来事だった。

バチルダの家を後にしたその足でダンブルドアはハリーの家へ向かった。ジェームズが死んだときに彼との約束でダンブルドアは彼らの家の秘密の守り人になった。自分以外であの家に入れるものはハリーしかいない。特段秘匿しているわけでもなく、誰かがハリーの様子を見たいと申し出てくれればダンブルドアは教えるつもりであった。しかし、先ほど判明したハリーの不思議な特性ゆえに、誰もハリーの様子を気にしない。今までわずかに憤りを感じていたモノが、必然的にそうなっていたと知って、憤懣やるかたなかった。周りはもちろん彼女の境遇を哀れんでいただけの自分自身にも。だからここにバチルダが加わるのはきっと良いことなのだろう。

バチルダは研究者ではあるが、話好きの一面もある。人との関わりに飢えているハリーはきっと喜ぶはずだ。

森の近くに建つ白い家。大きな窓が二階と一階の真ん中に一つずつついている。一階はジェームズの部屋で二階はハリーの部屋だ。ちょっと変わった様相はジェームズがわざわざ指示して作らせたのだという。

__娘がたくさん日の光を浴びて育つ様に。

呼び鈴を鳴らす。扉の向こうからこちらへかけてくる足音が聞こえた。元気そうなその音に微笑んでいると扉が勢いよく開いた。

「ビー!!いらっしゃい!待ってたよ!」

小さな顔、いっぱいで笑っているハリーが両手を上げてダンブルドアを迎えてくれた。

「こんにちは、ハリー。いい日和ですな。」

「こんにちはビー、お日柄もよく。」

ダンブルドアがかしこまって挨拶すればハリーも真面目くさった顔で返してくる。

大人の発言を意味もわからないまま真似た返答にダンブルドアはくすりと笑った。

この年頃の子供は少し会わないうちにどんどんいろんな知識を吸収していく。

これでバチルダの授業が始まったのなら本当にみるみる変わっていってしまうのだろう。

彼女が成長する姿を見られないと悔やんでいたジェームズに心の中で語りかける。

君の娘は、君の子らしく賢くてユーモラスな可愛い子に育っているよ、と。

ハリーに手を引かれキッチンまで導かれる。そこではすでに屋敷しもべ妖精のベルが二人分のお茶とお菓子を用意して待っていた。

「ダンブルドア様、ようこそお越しくださいました。」

胸の前に手を組み、体を斜めに倒しながらベルが礼をする。

「ベルもお元気そうで。」

ちょっと帽子に手を当ててダンブルドアも礼を返す。今ハリーを育てているのは実質この屋敷しもべ妖精だ。ハリーにとって親代わりであるのなら、それに見合った態度を取らなければならない。

最初は恐縮して身を縮こまらせていたベルも、ハリーの教育のためだと言えばダンブルドアの態度を受け入れてくれた。少し無理はしている様で、今も自分を罰したそうに手をプルプルさせている。

ハリーが食卓の椅子を引いてダンブルドアを座らせてくれた。それから嬉しそうに向かいの自分の席によじ登る。大きなテーブルの向こうに可愛らしいハリーの顔がちょこんと覗く。

ベルの焼いたクッキーに舌鼓を打ちながら、ダンブルドアはハリーに教師が決まった旨を話した。

「バチルダさん?」

「そうじゃ。魔法使いの歴史に詳しいお人での。ちょうどこの近くに住んでいるからハリーの勉強を見てくださるそうじゃ。」

「お勉強って何するの?」

口の上にミルクの髭をつけたハリーが不思議そうに首を傾げている。

ダンブルドアは少し考えて、ハリーにわかりやすい様説明した。それを聞いたハリーは少し眉を下げて、

「数の計算と読み書きは父さんが教えてくれたからできるよ。」

と言った。父親が自分に教えてくれたことをそれでは足りない、と言われたくないのだろう。

それを感じ取ったダンブルドアはゆっくりと数度うなづいた。

「そうじゃな、それ以外にバチルダは魔法史と呪文学を教えてくれるじゃろう。きっとジェームズが君に教えたことも役立つ。時間があれば復習しておきなさい。」

「うん、わかりました。」

友達と言ってはいてもハリーは基本的にダンブルドアを尊敬する大人として接している。

お利口さんな返答に、ダンブルドアも頬を緩めた。

それからハリーの近況を聞いた。こんな田舎であっても子供の毎日は忙しい。ハリーも毎日裏の森に出かけていろんな探検をしている様だった。

「最近ね、新しい泉を見つけたの……あ、そうだビーに見て欲しい子がいたんだった!」

ハリーはパンっと手を打ち付けると、あっという間に椅子から降りて自分の部屋へ消えた。あまりの早技に一人残されたダンブルドアは少し呆けてしまった。ハリーはひと時もじっとしていない。

その姿からは悪戯仕掛け人だったジェームズと好奇心の塊だったリリーの面影を感じる。

過去に意識を飛ばしていたら、ハリーが何か手に持って帰ってきた。

「ハリー、それは……?」

「泉で会ったの。なんか元気がなかったから一緒に連れてきちゃったんだけど、お水とか飲んだら元気になったみたい。」

その手に収まっているのは真っ白な蛇だった。長さは20センチより少し長いくらいだろうか。手の中にトグロを巻いている。その目は真っ青だった。

ダンブルドアはこの蛇を知っていた。遥か遠く東の端の国に住む魔法生物だ。たしかその国では神の使いとして親しまれている。

「綺麗な蛇でしょう?お外に出しても帰ってきちゃうから一緒にいていいかなって思って。」

強力な魔法生物の登場にダンブルドアは一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直して微笑んだ。

「きっと君のそばにいたいのじゃろう、飼ってはどうかな?」

「やっぱりビーもそう思う?僕も薄々そうなんじゃないかなって思ってたんだ。……でも蛇ってどうやって飼うの?」

「その蛇は魔法生物じゃから特別な世話は要らぬよ、ハリー。君は居心地のいい寝場所を作ってやればいい。」

蛇はハリーの手から身体を伸ばし、ダンブルドアに向かって舌をチロチロ出していた。

審査をされている気分になった。こんなに小さい蛇なのに、威圧感がある。

「ベッドね、わかった!ふふふ、実は名前を決めてあったの。聞いてくれる?」

「もちろん、聞かせておくれ。ハリー。」

「この子の名前は、ホーラよ。そう決めてたの。」

ハリーの名付けとともに、蛇が首を動かした。まるで言葉がわかっているみたいな動きだった。

「良き名じゃの。」

「そうでしょう?うふふ…」

ホーラを首に巻いたハリーが両の拳を口元に当て、笑った。


:::

ダンブルドアがハリーに先生を見つけてくれた。今日は初めての授業である。

ハリーは朝からソワソワと家の中を行ったり来たりしていた。彼女はダンブルドア以外に久々に会う魔法族でもある。これでどうして落ち着いていられようか。

ハリーは首に巻き付けたホーラをおともに、用意した羊皮紙と羽ペンを確認した。

朝からずっと繰り返しているせいで、羊皮紙が少しへたってしまった様な気がした。

リンゴーンと玄関ベルが鳴った。ハリーは駆け出しそうになる足を抑えて、できるだけお行儀良く玄関までバチルダを迎えに行った。

「初めまして、私が今日からあなたの先生になるバチルダ・バグショットです。」

扉開けた先には背筋のピンと伸びた老婦人がいた。ダンブルドアよりもっと年上だと聞いていたから腰の曲がったお婆さんがくるものだとばかり思っていたハリーは面食らった。

だけど失礼にならない様に急いで挨拶を返す。

「初めまして、ハリー・ポッターです。どうぞよろしくお願いします。」

そう言って頭を下げればバチルダが満足そうに鼻を鳴らした。

「よろしい、では中に案内してください。」

「こっちです。」

バチルダはちょっとばかし礼儀に厳しいようだ。ダンブルドアから挨拶の仕方を習っておいてよかった、とハリーは思った。

部屋に案内すると授業がすぐ始まった。まずハリーたち魔法使いがどんな生き物なのか、という話だった。

小さい頃に読んでもらった三兄弟の話を織り交ぜて語られる歴史は面白くてわかりやすかった。

「それじゃ、初めはマグルと僕らは一緒に暮らしていたのですか?」

「ええ、そうですよ。みんな同じだったんです。だから今でもいくつか名残があります。例えばマグルの遊び歌の中に魔法の呪文に使われていた歌があります。ずいぶん昔から歌われていたのでだいぶ歌詞が変わってしまっていますが、初めは呪文だったんですよ。」

「どんな歌ですか?」

「スカボロフェア、という歌です。……そうそうあなたのお母さんが子守唄に歌っていましたね。」

こんな歌ですよ、といって歌ってくれた旋律には聞き覚えがあった。ハリーにはほとんど母親の記憶がない。1歳の頃に事故にあって以来、寝たきりになってしまった。仕方ないと思っていたけど、赤ちゃんのハリーに歌を歌ってくれていたと実感して嬉しくなった。

「僕、この歌を覚えたいです。教えてください。」

隣に座るバチルダにお願いすると彼女は快く何度か歌を繰り返してくれた。どこか懐かしくて切ない気持ちになる歌だった。歌詞の意味はよくわからないけど、ハリーはこの歌がとても好きになった。

「昔は何の魔法で使われていていたんだろう。」

バチルダと一緒に歌ってみた後、ポツリとハリーは呟いた。

それをちゃんと聞いていたバチルダが答えてくれる。

「元は死んでしまった人と話すために作られた魔法です。大昔の魔法なので詳しくわからないのですがきっと使えなかったんじゃないかと私は思っています。」

「どうしてですか?」

死んだ人と話せる魔法があるならハリーは知りたかった。それがもし使えたらもう一度ジェームズと話せるかもしれない。

「ハリー、死者とは話せないのです。死者はみんな、残された人の心の中に帰っていくのですから。」

皺皺の手がハリーの頭を撫でた。優しいその手つきに、ハリーは俯いた。

涙が出そうだったけど必死に我慢した。だってジェームズは呪いに勝ったのだ。ハリーは笑いたかった。

机の隅でトグロを巻いていたホーラがスルスルと滑り出し、ハリーの首に巻き付いた。しっとりと冷たく柔らかい感触が気を紛らわしてくれた。

バチルダの手が頭に回り、彼女の骨張った肩にそっともたれかからせる。こっそり落ちた涙は洋服の袖に吸わせて消した。

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