1-7 鏡合わせに気付かない

「おやおや、グリフィンドールの異端児は今日も闇の魔術にご執心かい?」

入学してから幾週か経った昼休み、ハリーはいつものように一人きりで本に埋もれていた。築き上げた本の壁の向こうから、つい数週間前に知り合ったばかりの声が聞こえた。

難しい言葉の羅列を読み過ぎて重くなった頭をもったりと上げる。

「何?ずっと無視してたくせに……白々しいやつ。」

メガネのブリッジを押し上げて、テーブルを回り込んできたドラコを睨む。彼は不遜な笑みを浮かべていた。

「仕方ないだろ?スリザリンの僕がグリフィンドールの君と親しく話してたら変なんだから。」

「じゃあなんで今更、話しかけてきたわけ?」

「そりゃ、君……」

ドラコはわざとらしく言葉を切って肩のところに手を上げる。全く子供らしくない仕草だ。

「はぐれ者を哀れんで、に決まってるだろ。」

むすりと顔を膨らませるハリーを、ドラコは嬉しそうに覗き込んだ。否定もできないでただ黙る。事実だったからだ。彼の言った通り、ハリーはグリフィンドールで浮いていた。

入学早々図書館に通い詰め、闇の魔術の本を読み漁っていたら、いつの間にか距離を置かれていた。同室の女の子たちは普通に接してくれるが、寮の談話室内だとどうも気まずいみたいで話しかけてくれない。友達百人を目標にしていたのに、現状はほぼ0人。友達がいない寂しさを紛らわせる為に本に没頭して仲良くなる機会をなくす、負のスパイラルに陥っていた。

「哀れみなんかいらない、も、ほっといて。」

じわっと目の端に熱いものが浮いてくる。ハリーは鼻をすすり、ローブの袖を目に押し付けた。

「え、うわ、泣くなよ。」

ドラコの焦った声が聞こえる。こんないじめっ子に泣き顔を見せてやりたくなくて、もっときつく袖を顔に押し付ける。

「君だって、僕の友達じゃ、無いんだろ?」

喉が震えるのを無視して詰る。

「友達になってやりに来たんだよ!また!」

肩にドラコの手がかかる。彼の勢いに驚いて、涙が引っ込んだ。

「え?ほんとに?」

あっけにとられてドラコを見た。気まずそうに眼をそらしている。彼の言葉が耳から、胸に落ちて、蝋燭が灯ったみたいにあったかくなった。

「それは、うれしい……」

気恥ずかしくて、ごまかすように笑う。ハリーが一人きりだって知って、気にかけてくれた。うれしかった。

ハリーが笑うと、ドラコも安心したみたいに腕を下げた。肩から重みが消えた。もう一度目をこする。涙はすっかり乾いた。

次の瞬間、雷が轟いた。

「私語厳禁!!誰ですか、こんなところで大声を出したのは!」

マダム・ピンスの癇癪に二人してビクッと飛び上がる。

「そんなに元気なら外に出なさい!」

ハリーは読みかけの本を持ったままへどもどした。

「あ、でもまだ本が……」

「本を置いて、出なさい!出て!」

有無を言わさぬ彼女の物言いに、ハリーは縮み上がり、持っていた本を机に置いてドラコとともに転がるように外に出た。

階段を駆け下りて玄関ホールから校庭に走り出す。

「はぁーすっごい怒られた。」

「あの司書、気が短すぎるんじゃないか?」

まだびりびりと振動する鼓膜をさすって、ドラコと一緒に校庭を歩く。

「絶対君の声よりマダム・ピンスの声の方が大きかったよね。」

「あれでフクロウ小屋の半分は起きたね。」

歩きながら芝生を蹴り上げる。葉っぱがパラパラと舞った。緑の針みたいに輝いている。

昼食時の校庭には生徒の姿はなかった。みんな今頃大広間でお昼を食べているんだろう。ハリーは授業終了直後に駆け込んでパンを一つ二つ拝借して図書館に行ったからわからないけど。

そういえばドラコはご飯を食べたのか、気になった。

「昼食は食べてきたの?」

「……お前を誘って戻ろうと思ってたから、食べてない。」

「おなかすいてるんじゃない?」

「ふん。」

ドラコは返事をしなかったけど、きっと空腹に違いない。否定をしないってのはそういうことだと思う。だけど大広間に取って返す気が起きなくて、ハリーは少し考えた。

「そうだ、ハグリッドのところへ行こうよ。何かご馳走してくれるかもしれない。」

「あの野蛮人のところへ?言っとくけど僕、生肉は食べないからな。」

「さすがのハグリッドも生肉は食べないと思うよ。」

イタチ肉のサンドウィッチを出された記憶があったハリーはなるべくドラコと視線を合わせないようにしながらうけあった。

校庭を丸々横切って禁じられた森の辺まで来た。ハグリッドの小屋の煙突から煙が出ている。ハリーはドラコを振り返った。

「あれがハグリッドの家だよ。」

「掘っ立て小屋じゃないか。」

「ログハウス!」

「そういうことにしておこう。」

ハリーの剣幕にドラコはおとなしく矛を収めた。仲直りしに来たのにまたけんかをしたくなかったようだ。素直でよろしい。ハリーは満足してうなづいた。

「ハグリッドー!遊びに来たよー!」

寮に居場所がなかったので、ここには頻繁に遊びに来ていた。開け放たれた扉の方へ呼びかける。

「おおーハリー。まーたきたか。ちょうどかぼちゃのパイが焼けたところだ、食べてけ食べてけ。」

ハグリッドがのっそりと中から顔を出した。今日は当たりの日だった。ハグリッド特製かぼちゃパイはシナモンが効いていておいしい。ロックケーキとかじゃなくてよかったね、という気持ちを込めてドラコにほほ笑む。彼は意味が分からないといった顔をしていた。

「なんだ、ハリー。友達か!」

ドラコの姿を見止めたハグリッドが喜色ばんだ。ハリーもくすぐったい気持ちになって肩をすくめる。

「うふふ、そうなの。ドラコっていうの。」

「ドラコ・マルフォイだ。」

ツンと澄ましてドラコが名乗る。それを聞いたハグリッドが怪訝な顔をした。

「ん?んー?マルフォイだと?」

本当にドラコがハリーの友達なのか訝しがっている。ハリーは落ち着かなくてそわそわした。

「それが、何か?」

ドラコも挑戦的な表情でハグリッドを見上げる。

「ハリー、ほんとーーに友達か?騙されてねぇか?」

ハグリッドが太い指をドラコに突き付けて、内緒話の恰好だけしてハリーに聞いた。ドラコには普通に聞こえてるみたいで、不機嫌に眉をしかめている。ハリーは苦笑した。

「本当に友達だよ、大丈夫。」

「ならええが……お前さん、ハリーを悲しませるんじゃねぇぞ。」

「そのハリーはたった今友達を疑われて悲しんでるみたいですけど?」

「なんだと?」

一触即発の雰囲気にハリーは慌てて割って入った。ハグリッドにかかったらドラコなんて空き缶みたいにぺちゃんこにされてしまう。向う見ずに喧嘩を売らないでほしい。

「わ、わ!僕ハグリッドのかぼちゃパイ食べたいなー!おなかすいちゃった!」

「お、そうだな。午後の授業が始まっちまうからな。まぁ入れや。」

ハグリッドの気がそれて、ほっと一安心する。ハリーは肘でドラコを突く。

「もう、余計なこと言わないでよ。」

「君に言われたくない。」

憮然とした顔のままドラコはハリーに続いて小屋の中に入った。

「午後の授業は何だ、ハリー?」

かぼちゃパイの大きな一切れをハリーに渡しながらハグリッドが聞いた。両手で持ってもずっしりと重いそれを受け取る。腕がプルプルする。

「午後はね、魔法史だよ。あんまりおなか一杯になっちゃうと眠くなる。」

「お前さんは寝ちまっても大丈夫だろ?」

「うーん、でもせっかくなら聞いておきたいんだ。先生と違うこと教えてくれたりするから。」

「勉強熱心なのはいいことだ。」

パクリと大きくかぼちゃパイを口に入れる。ほくほくのかぼちゃペーストはバターとシナモンの味がする。甘くておいしい。ハリーが食べたのを見て、ドラコもようやくパイに口を付けた。

警戒していたようだ。友達を毒見に使うなんて、ひどい奴だ。

「ふぉらこは次は何?」

あんまりたくさん口に詰めてしまったので、ふがふがした声になった。お行儀のよいドラコは口の中のものを飲み込んでから返事をする。

「僕は妖精の魔法学だ。」

「今なんの呪文やってるの?」

「ルーモス」

「じゃ、僕の方が早く進んでるんだね。僕の方は今、ルーモスマキシマまでやったよ。」

ハリーとドラコが仲良く会話しているのをハグリッドは感心しながら見ていた。

「お前さんたち、本当に友達なんだなぁ。いやはや驚いた。マルフォイっていうんだからお前さんはスリザリンだろう?」

「そうですが。」

「で、ハリーはグリフィンドールだ。」

「うん」

「ここの二つはいがみ合うもんだと思ってたが、そうならないやつもいるっちゅうことか。」

納得した、とばかりにハグリッドが大きく手をたたいた。風が起きてハリーとドラコの髪が靡いた。恐ろしいパワーだ。拍手の音にドラコが若干青くなっている。

「僕は慣例を破る生徒なのさ。」

ハリーは誇らしい気持ちで、また大きく一口パイを食べた。ドラコもまんざらでもない顔をしていた。

ハグリッドお手製のパイはハリーたちのおなかをよく満たした。ちょっと苦しくなりながら、大急ぎで城に戻る。早くしないと授業に遅刻してしまう。

玄関ホールでドラコと別れる。

「じゃ、ドラコ、またね。」

「ああ……ハリーはいつも図書館で本を読んでるのか?」

「え、うん大体そう。」

勇み足のまま答える。

「僕も調べものを手伝ってやる。」

ドラコの発言に、体がぴたりと止まる。

「え?」

「じゃあな。」

突っ立ったままのハリーを置いて、ドラコは西の塔に走って行ってしまった。まさか、ドラコからそんな約束をすると思わなかったハリーは彼の姿が見えなくなってようやく自我を取り戻した。玄関ホールから魔法史の教室への最短記録を更新したと思いながら、ハリーは机にへたり込んだ。

翌日から約束通り、ドラコが昼休みや放課後に図書館に訪れるようになった。ハリーとしては旅の道連れが出来て嬉しくもあり、戸惑いもあった。

「”闇の魔法使い達の残酷な歴史”って誰が書いてるの?個人の主観が多すぎてほぼゴシップなんだけど……」

ドラコが読んでいる本を背後から覗いて文句をつける。

「僕には楽しい書物なんだがね。」

夢中で読んでいたドラコは不機嫌に顔をゆがめた。

「そりゃ噂好きのきみはそーでしょーよ」

スリザリン生なのに、ハリーがグリフィンドールのはぐれ者だって噂を聞きつけて突撃してきたくらいだ。野次馬するのが好きなタイプだろう。

「そんなの読むくらいなら、”古来の呪術と生贄”の方が面白いよ。マグルと魔法族の共同作業って感じ。」

「悪趣味だな。」

「どっちが。」

闇の魔術関連の本ばかり読んでいる時点でどっちも五十歩百歩だ。ハリーたちの貸し出し履歴は中々結構な物騒加減になっているだろう。本以外に無関心なマダム・ピンスが司書でよかった。そうでなかったら早々にハリーたちは個別指導を受けてるに違いなかった。

しかし教師には感づかれていなくても生徒は感づいていた。日々図書館に通い、スリザリン生のドラコと物騒な本を読んでいるハリーを大体のグリフィンドール生はよく思っていなかった。いじめにまで発展しないのは寮風のおかげだろう。正々堂々嫌う人間はいれど陰湿な嫌がらせをする者はいなかった。

ハリーはもう友達を増やすことをあきらめていた。組み分け帽子はグリフィンドールでなら友達がたくさんできると言ってたけど、嘘っぱちだった。もう二度と信じてやらないと思った。八つ当たりだ。

友達を作るには闇の魔術研究をやめればいい。それはわかっていた。でもやめられない。リリーを見捨てたような気持になるからだ。寝たきりの母を娘のハリーがあきらめてしまったら、他に誰が彼女を起こしてくれるんだろう。そう思うと、恐ろしくてやめられなかった。幸いにもハリーには悪趣味な友人が出来たし、欲張らないことにする。

ジェームズのように輝かしい学生生活は手に入らなかったけど、これがハリーの選択だった。

「うわ、あいつらまたやってる、ネビル。ここは駄目だ、よそへ行こう。」

本棚の影からひそひそ声が聞こえた。ハリーは心の端が冷たくなるのを感じた。あの声はロン・ウィーズリーのものだ。きっと、ハーマイオニーとネビルもいるに違いない。彼らはいつも一緒にいる。ハリーに闇の魔術なんかやめなさいと何度も繰り返すハーマイオニーと、ドラコと犬猿の仲のロンがハリーは少し苦手だった。どちらも悪い人ではないのだけど、闇の魔術を敵視しすぎているのだ。薬も過ぎれば毒となるという言葉を借りれば、闇の魔術は過ぎた薬と一緒だ。程度を誤らなければ役に立つ。現に内臓を取り出す呪文なんかは呪いとして開発されたのに今では癒術に使われている。そんな反論はもちろん聞く耳を持ってくれないが。

「いい加減、ハリーも目を覚ましてくれるといいんだけど。あの子悪い子じゃないのよ……」

「知ってるけど、僕にはなにも言えないよ。」

「ハーマイオニー、ゆで卵は生卵には戻らないんだぜ?」

三人がしゃべりながら遠ざかっていく。ハリーはほっと息を吐いた。

「あいつら、癇に障るな。」

ドラコが忌々しそうに鼻を鳴らした。ハリーは眉を下げてほほ笑む。

「しょうがないんだよ、やっぱり闇の魔術ってそういう目で見られちゃうから。」

ドラコはハリーの目的を知っている。初めに話したからだ。でも彼も攻撃の為でなく、治癒のために闇の魔術を調べようとしてる、なんて思わなかったみたいで話した時は目を白黒させていた。

「了見の狭い奴らだ。」

「人のこと言えないでしょ。」

また新たな本に手をかける。本を積んでいくたびに、母の治癒につながる気がする。全く成果は出ていないけど、ただ楽しい時間を過ごすよりはずっと、安心するのだった。

あっという間に十月になった。木枯らしがもうすぐやってくる冬の気配を知らせている。授業が終わった後、ハリーはハグリッドの小屋を訪れていた。

「ハグリッド!こんにちは!」

「おお、ハリー。今日は一人か?」

「うん、僕だけだよ。いいものって何を見せてくれるの?」

朝の郵便でハグリッドはハリーを午後のお茶に招待してくれた。何やら見せたいものがあるとも書いてあった。だからハリーは一日ルンルンで過ごしていた。

「こいや、こっちだ。裏の畑だ。」

大きなハグリッドの背中に着いていく。畑には山のようなかぼちゃが育っていた。中をくりぬけばハリーが中に入り込めそうなほど大きい。

「わぁ!すごいね!!」

「そうだろう。もうすぐハロウィンだからな。そのために育てちょる。」

「ハロウィンかぁ」

意識して頭から追い出していた日だ。十月三十一日は、ジェームズの命日だ。他の人には楽しいお祭りでもハリーにとっては未来永劫父が死んだ日でしかない。一番気分が落ち込む日に、楽しそうな人々を見るのは結構堪えるのだ。

しんみりしてしまったハリーを励まそうとしたのか、急にハグリッドが大声を出した。

「そうだ、ハリー!ちょっくら悪だくみに付き合ってくれんか?」

「悪だくみ?」

「おうとも。ここだけの話な、普通に育てとったらここまで大きくならん。おれが肥らせ呪文をかけとるんだ。」

「わ、ハグリッドったら、お茶目だね。」

「お前さんならそういうと思った。ハリーもこのちっこいのに魔法をかけてみるってのはどうだ?」

「いいの?」

「練習だ、練習!」

初めて使う魔法にハリーは落ち込んでいた気持ちなんか吹っ飛んでわくわくした。早速杖を取り出してハグリッドを急かす。

「どうやるの??教えてハグリッド!」

「俺は先生じゃないから、ちょっとちげぇかもしれんが……」

ハグリッドが花柄の傘を取り出して見本を見せてくれた。

「エンゴージオね、分かった。」

「慎重にな。」

ハリーは腕まくりをして、小さいかぼちゃと向かい合う。何度か杖を振ってイメージトレーニングをする。自分が成功する姿を思い描いた。

「エンゴージオ、肥大せよ!」

ピッと杖をかぼちゃに向ければ、むくむくと大きくなっていく。

「お!いいぞ、ハリー。」

「えへ。」

褒められた拍子にちょっと意識がそれた。順調に大きくなっていたかぼちゃはここで急成長する。

「え、わ、」

あっという間にかぼちゃは馬車ほどの大きさになってしまった。

「あちゃー」

バチンっとハグリッドが額をたたいた。

「ちょっと張り切りすぎちまったな。」

「ごめんなさい……」

自分の気合の権化のようなかぼちゃの横でハリーはしょんぼりした。

「うわぁ、ハグリッド、これ何?」

急に知らない人の声がして、辺りを見回した。

「おっと、ネビル。」

背の高いハグリッドにはかぼちゃの向こうのネビルが見えていたようだ。ハリーはハグリッドの後ろに回り込む。ますますグリフィンドール生と気まずくなっていたから、顔を合わせ辛かった。

「どうしたハリー、お前さんらしくもない。」

ネビルたちから隠れるように自分の後ろに回ったハリーをハグリッドは訝しがった。

「ハリー?一年生のハリー・ポッターのこと?」

ひょっこりとかぼちゃの向こうからネビルたち三人組が出てきた。聞かれてしまった。もう逃げても無駄だ。ハリーは大きく息を吸って覚悟を決めた。挨拶をしよう。後ろに隠れられていたんじゃ、ハグリッドだって困る。

ハリーは思い切って、三人の前に飛び出した。

「こんにちは、君たちも散歩?」

あんまり勢いをつけたから、靴に泥が飛んだ。バクバクする心臓を極力無視する。突然の登場に三人とも目を大きくしていた。

「あ、うん。ハリーも?」

一番早く話しかけてくれたのはネビルだった。控えめな微笑みがその丸顔に乗る。

「僕はハグリッドにイイモノ見せてもらいに来たの。」

「それってかぼちゃのこと?」

まさかかぼちゃなわけないよな、という顔をしながらロンが足元を指している。

「うん、かぼちゃのこと。」

「君ってもの好きだね。」

「それほどでも……」

ロンの評に頭を掻いて照れる。珍しい物好きなのがばれてしまった。なんとなく気恥ずかしい。

「この馬車みたいなかぼちゃ、貴方がやったの?」

ハリーの持つ杖と、その横にそびえる巨大なかぼちゃを見比べてハーマイオニーが訳知り顔になった。

「えへ、張り切りすぎちゃって……」

「すごいのね、肥らせ呪文まだ習ってないじゃない。」

「失敗してるよ?」

「爆発してないんだからいいのよ。」

(爆発だって、君のことだぜ、ネビル。とロンが背後でネビルをつついた。)

「案外アバウトなんだね、君って。」

「そう?」

ハーマイオニーが肩をすくめる。さっぱりした物言いだった。それから自分も杖を取り出して、ハグリッドに問いかける。

「ハグリッド、私が縮めてみてもいい?」

「そりゃ、構わんが、呪文を知ってんのか?」

「ええ、使い方を見ただけだけど。」

「僕にも教えてくれない?」

ハグリッドの背中から離れてハーマイオニーのそばに寄った。知らない呪文を使うなら、見てみたかった。

ハーマイオニーはちょっとびっくりした顔になったが、

「良いわよ。」

と了承してくれた。

「うへぇ授業以外でも勉強なんて、よくやるよ。」

「僕も、勉強は勘弁……」

縮ませ呪文について話し始めたハリーたちの背後でロンとネビルが顔を見合わせている。彼らは呪文より食い気のようで、ハグリッドにクッキーをもらって喜んでいた。

そんな幼稚な少年たちを余所に、女子二人は真剣な表情でかぼちゃと向かい合っていた。

「膨らませるのと縮めるの、どっちの方が難しいのかな?」

「どっちもどっちじゃない?物の大きさによって最大サイズは決まってるから、膨らませる方が被害はないのかしら?」

「でも縮ませても消えはしないよね。」

「そうね、この大きさのかぼちゃだと、最小で一立方センチくらい?」

「多分そのくらい。」

ハーマイオニーと魔法の話をするのは楽しかった。ドラコもロンたちと同じく、呪文や理論の話をするより、箒の話をしたがる。

あっという間に夕食の時間になった。

「またね、ハグリット!」

夜が迫る校庭を闇が追い付かないうちに走って帰る。四人して玄関ホールに駆け込んだ。なんだか友達になれたみたいで、うれしかった。

[newpage]

とうとうハロウィンが来てしまった。暗い気持ちでそこら中に飾り付けられたジャック・オ・ランタンとにらみ合う。おどろおどろしい蜘蛛の巣も、空中で光る蝋燭も、ハリーの視界に入らないでほしい。みんなが楽しそうに夜のごちそうについて話しているのを小耳にはさむ。泣かないようにするのが精いっぱいだった。

学校に入る前は、バチルダや妖精たちが一緒にいたから、しんみりとこの日を過ごせた。だけど今年からは、場違い甚だしいお祭りの中でしんみりしなきゃいけない。

夕方に近づくにつれてどんどん気が滅入ってくる。授業が終わってすぐ、ハリーは教室から速足で出た。

生徒たちがわいわい騒ぎながら大広間に向かう流れを逆走する。一人になりたかった。ほぼ小走りに歩いていたら、急に腕をつかまれた。たたらを踏んで静止する。

「おい、ハリーどこへいくんだ?」

ドラコだ。クラッブとゴイルと一緒に大広間へ行く途中のようだ。後ろの二人は腹がすいているらしく、イライラとハリーたちを見ている。

「僕、ちょっと一人になりたくて。」

早く放してほしかった。口早に言ってそっとうつむく。すると、ドラコはあっさり手を離した。

「ふーん、まあ止めないけどね。どうせ寮も空っぽだろ、帰ったらいいんじゃないか?」

察しがよくて助かる。ハリーはにこりと笑った。

「うん、でも、今は人がいるからもう少ししたら帰るよ。」

ハリーがそういうとドラコは後ろ手に手を振って去って行った。

しばらくそれを見送って、踵を返す。誰も知らない秘密の場所へ、ハリーは歩いて行った。

一階の誰も使わない教室に入り込む。鞄からアルバムを取り出す。ハリーが7歳になるまで、ジェームズは毎年アルバムを作っていた。その中の一冊だ。ページをめくれば在りし日のハリーとジェームズが出迎える。小川で遊ぶハリーを椅子に座って眺めるジェームズ。シリウスと三人でダイアゴン横丁へお買い物。リリーの病室でスネイプに鉢合わせた日。どの写真のハリーも笑顔だった。父に抱きしめられて、幸せだったことを思い出す。

「父さん、今年も冬が来るね。」

ハリー達の村は古い暦に従って動いていた。ハロウィンの日、冥界とこの世界が繋がって、冬の王がやってくる。ぶるりと身震いする。ブランケットを持ってくれば良かったと後悔した。流石に制服だけでは冷えてしまう。

もうみんなご馳走を食べている頃だろうか。ハリーが一人で父を忍んでるなんて誰も知らない。笑い合っているんだろう。その場面を想像した。ジェームズなら喜ぶと思った。

そろそろ寮に帰ろう。お腹も空いてきたし、部屋にあるお菓子を食べたかった。アルバムを鞄に詰めて、廊下に出る。

大階段へ歩いていると、何やら重いものを引き摺る音がした。きっと魔法をかけられた甲冑が動き回っていたずらしてるんだろう。ハリーは何も気にせず曲がり角をまがった。

凄まじい異臭が鼻をついた。大きな影が頭上に落ちる。ガチッと体が固まって、恐る恐る上を見た。

2メートルを超えるトロールがハリーを見下ろしていた。

「アー!!!」

ハリーは叫んだ。瞬時にポケットから杖を出す。訳もわからず呪文を唱える。

ダーン!!!!と城が真っ二つに割れんばかりの音を立ててトロールが転んだ。とっさに足すくいの呪いをかけてしまった。ハリーは駆け出した。トロールが城にいるなんて、意味がわからない。なんで動きを封じる呪いをかけなかったのか、自分を恨んだ。トロールはすぐさま立ち上がって猛然とハリーを追ってくる。地の利があるからなんとか追いつかれずにいるが、一度でも転べばあの棍棒でぺしゃんこに潰される。大階段に続くドアを開けて、別の廊下に出た途端、誰かにぶつかって尻餅をついた。

「ハリー!」

「え?ドラコ?ネビル?ロン?」

どうやら言い争いをしていたらしい彼らが揃ってハリーを見ていた。状況を飲み込み切れなくて、呆然としたが、背後に轟いた破壊音で我に帰る。

「逃げなきゃ!!!走って!!」

三人を追い立ててまた走り出す。ハリーを小うるさいハエと認識したトロールは地の果てまでも追いかけてくる。巻き込まれた少年たちは、悲鳴を上げた。

「なんでトロールに追いかけられてんの!?」

ひっくり返った声でロンが喘いだ。

「あいつに足すくいかけたから!!」

ハリーも叫び返す。

「もっと賢く喧嘩を売れよ!!」

ハリーの左側でドラコが怒鳴った。ネビルは何か話すどころじゃなく、必死に足を動かしていた。

「そこ!その鏡、隠し階段あるから入って!」

城の裏道を知り尽くしたハリーの指示に従って、隠し通路に雪崩れ込む。

「上がって!上がって!」

狭い階段をみんなで駆け上がった。階下でトロールが怒りの唸り声を上げているのが聞こえた。石の板を押し上げて、上の階に出る。

埃まみれの床に、石像がいくつも並んでいた。

「ここ、どこだ?」

一番初めに上りきったドラコが首を傾げる。

「三階の廊下」

「はぁ!?禁止されてるとこじゃないか!」

「あのままトロールに潰されるのと、先生に怒られるの、どっちが良かった訳?!」

混乱したまま喧嘩に発展しそうになるハリーとドラコをロンが止める。

「やめろって!早くズラかろう、見つかったらまずいよ!」

ロンはドラコの背を押し、ハリーを引っ張った。

「僕、もう一生分走った……」

ヨボヨボになったネビルも付いてくる。三階の廊下の入り口に向かっている途中、バーン!!と爆発音がした。

四人は横っ飛びして石像の影に隠れた。トロールに先回りされていた?胸を突き破りそうな心臓を押さえて息を潜める。

もう一度バーン!と音がして、人が揉めている声がした。

聞き覚えのある声の気がして、ハリーは耳を澄ませた。

「……お前の狙いはわかっている!」

「あ、あなたが欲しがっているのだろう?!」

一人はスネイプだ、もう一人は誰だろう。ハリーは首を捻った。

「クィレルとスネイプだ。何を揉めているんだろう。」

こそこそとドラコが呟いた。ハリーはああ、クィレル先生だったのかと合点がいった。

カッと閃光が走り、薄暗い廊下全体が明るくなる。物が壊れる音と、爆発音、呪文を弾く音が立て続けに響いた。

「け、決闘?なんで戦ってるの?」

耳を塞ぎ、小さく丸まりながらネビルが悲鳴を上げた。

「さっきはトロール、今度は教師の喧嘩、ハロウィンだからって大盤振る舞いが過ぎるよ……」

ロンがやれやれと首を振りながらそっと様子を覗き見ている。

三階の廊下は長い一本道だった。薄暗くカーテンが引かれ、不気味な石像が並んでいる。廊下の突き当りには扉があった。スネイプがそれを背にし、クィレルが向かい合う格好で戦っている。

まだ杖先から火花を出すのがせいぜいの一年坊主達にとって、教師二人の戦いは怪獣大戦争のようなものだった。四人は動くこともかなわず、呪文がそれてこっちまで飛んできませんように、とひたすら祈っていた。

「トロールを招き入れたのもお前だろう、え?」

スネイプは黒いローブの袖を翻し、金色の炎を放つ。それは空中で枝分かれして、石像に向かって飛んだ。次いで銀の玉をクィレルに打った。金の糸で繋がれた石像が強力な磁石に引き付けられたように、クィレルにすさまじいスピードで押し寄せる。

クィレルは自分の杖をふるい、紫の防壁を張った。触れた石像が砂と化す。ざらざら崩れ落ちる煙の中で、クィレルが笑っていた。

「はは!そこまでわかっていながら私を阻むのが精いっぱいとは、笑わせる。」

授業で見る様子と違い過ぎる。

「本当にあれ、クィレル?何か憑いてるんじゃない?」

手で口を覆いながらも、我慢できずにハリーが呟いた。

「スネイプは平常運転って感じだけどな。」

ロンも頷いている。ドラコがひどく顔をしかめ、これ以上喋ったら殺すぞ、と目で二人に脅しをかけてきた。

ネビルも恐怖でぶっ倒れそうになっていたので、ハリーとロンはおとなしく黙った。

この戦いを目撃したと、あの二人に悟られたら骨の髄まで黒炎に焼かれそうだ。

突然、獣のうなり声が轟いた。少年たちはますますきつく体を石像に寄せ、瞳だけで状況を確認する。

「グッ!」

スネイプの悲鳴が聞こえた。彼の背後にあった扉から、巨大な犬の頭が飛び出している。犬は鋭利な牙を剥き、獰猛にドア枠に体当たりしている。繰り返される噛みつきを避け、スネイプが床に転がる。

「チッタイムリミットだ。トロールの方が片付いてしまった……」

クィレルが扉を開けたのだろう。地に伏すスネイプを一瞥もせず、大階段へ足早に出て行った。ハリーは口の端から息を細く吸った。スネイプも足をかばいながら立ち上がり、三頭犬に催眠魔法をかけた。犬を大人しくさせ、扉を封印すると、彼も廊下から去った。再び静寂が戻り、ようやく手足に体温を感じた。

「元来た階段から帰ろう……」

ハリーが弱弱しく提案すると、全員こっくり頷いた。同じ扉から外に出る気にはならなかった。もし彼らがまだ近くにいて、ハリーたちを見つけたら……想像するのも恐ろしい。

足音をひそめて隠し階段を下りる。一階の鏡前からトロールは消えていた。埃だらけになったローブを叩き、大きくため息をついた。

「あー死ぬかと思った。」

ロンもぐっと伸びをして、

「ほんと、ハリーを探しに来るんじゃなかったよ。」

と言った。

「でも、無事でよかった…」

青白い顔をしながらも、無事を喜んでくれるネビルはいい奴だ。

ハリーはロンの言葉が引っ掛かった。

「僕のこと探しに?なんで?」

さらに言うなら何でドラコも一緒だったの?と頭の中は疑問符で満ちた。

「さっき廊下で会った時、用事があるって言ってたから、トロールがいるって知らなかっただろうと探しに来てやったんだ。まさか教える前に追いかけられてるとは思わなかったけどね。」

「僕たちも、ハリーが夕食の席にいなかったから、探しに来たんだ。で、マルフォイと鉢合わせして……」

「こいつの物言いに文句言ってたとこにハリーがトロール連れてきたってわけ。」

ドラコはともかくとして、ロンとネビルがハリーを心配してくれたことに驚く。彼らとはハグリッドのところで出会って以来、少し話すようにはなったけど、危険を顧みずにここまで来てくれるほどとは思っていなかった。まるで友達みたいだ。

「三人とも、ありがとう。」

くすぐったい気持ちになりながら礼を言う。少年たちは照れ臭そうに頬を掻いた。

「早く寮に帰ろう。僕たちがいないの、ハーマイオニーがうまくごまかしてくれてるから、怒られないさ。」

「……ドラコもグリフィンドール来ちゃえば?」

ネビルの、寮に帰ろう、というセリフにドラコが寂しそうな顔をしたのをハリーは見逃さなかった。こそっと誘ってみる。

「遠慮する、君は良いけど、ほかの奴らは嫌いだから。」

「そう?」

ハリーはしつこく食い下がらなかった。今じゃなくたってドラコとパーティーはできるだろうと考えたからだ。

玄関ホールで三人はドラコと別れた。地下に続く廊下を歩いていく彼の姿を見送る。ハリーたちは八階だ。上と下に分かれていくのが寂しいな、と思った。

さっきの冒険を興奮気味に話し合う少年二人の後ろをついていく。黙々と階段を上っていたら急に話を振られた。

「ハリー、スネイプとクィレルは何を狙ってたんだろう?」

「うーんなんだろう……」

「あんなに欲しがるんだから相当なもんだよな。」

ハリーは顎をつまんでちょっと考えた。だけど皆目見当がつかなかった。

「この学校、何を隠してるんだろうね。」

スネイプも、ダンブルドアもハリーが知る彼らとは様子が違う。先生と生徒だからだと思っていたけど、それがすべてじゃないかもしれない。

ネビルとロンは隠されているものが気になるみたいで、ああでもないこうでもないと論議を重ねていた。きっと、彼らは突き止めるまで調べるんだろう。

だけどハリーは、あの優しいビーが、危険なクィレルを野放しにしている方が気になった。何か理由があるはずだ。

ビーに直接聞いてみたいと思ったけど、校長と生徒の間の垣根が高くて、越えられる気がしなかった。

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