1-8 光の取り分

ハラハラと降る雪を見上げる。グリフィンドールの塔から見る校庭は真っ白だった。やっと荷物を詰め切ったトランクを持ち上げる。中身は増えて無いはずなのにどうしてこんなに重くなったのか、不思議に思う。

「エレノア、メリダ、準備出来た?」

一緒に下まで行こうと約束していたルームメイトに声をかける。トロール事件の後、ネビル達が親しく声をかけてくるようになったおかげで、だいぶ寮に馴染んだ。元から仲が悪くなかったルームメイトとは友人と呼び合える間柄にまでなれた。ハリーは嬉しかった。

「ええ、行きましょ!」

「トランクに浮遊魔法かけたらダメかしら。」

「僕、暴走トランクの世話はしないからね」

「ま、ハリーったらひどいんだから…!」

他愛のない会話をしながら、重いトランクを持って寮を出る。玄関ホールまでくると冬の気温が三人を包んだ。分厚いコートを着ておいて良かった。ぬくぬくと温かいマフラーに顔を埋める。

馬車を待つ生徒の群れに加わった。真っ白な雪はそこだけ土と混じって茶色く踏み固められている。フィルチがトランクを馬車の上に押し上げる手助けをしていた。

エレノアとメリダと話しながら馬車の順番を待つ。その間にも顔見知りが一人また一人と帰っていく。みんな久しぶりの帰省に顔を綻ばせていた。

もうすぐハリーたちの番だ。トランクを後ろから押して動かす。なめし革に雪が染みて底だけ色が変わっていた。

「ハリー!」

自分の名を呼ぶ声に振り返る。ドラコがこちらに向かって手を振っていた。なんだか手招きもしている。こちらは長らく順番を待ってようやく乗れるというのに、勝手なやつだ。

「なんか友達が呼んでるから、列抜けるね。エレノア、メリダ、良いクリスマスを!」

「ありがとう、ハリーもね。」

「良いクリスマス、新年を!また来年会いましょうね。」

トランクを列の脇においてドラコのところまで帰る。

彼はハリーが駆けてくるのを当たり前な顔をして見ていた。

「遅い。」

偉そうなセリフにムッとする。

「何その言い草、僕わざわざ列抜けてきたんだよ?抜けさせてゴメンね、くらい言えないの?」

「ゴメンネ。」

とりあえずうるさいから謝っとくか、くらいのノリで言われて、ハリーは怒るのがバカらしくなった。さっさと話を聞いてしまおう。この気温の中、ずっと外にいるのはキツい。

「すごい棒読み。で、要件は?」

「君、友人に別れの挨拶もせずに帰るつもりだったのかい?薄情な友を持ったな……」

右手を天に向けて嘆く振りをするドラコは大層白々しかった。思わず半目になる。別れの挨拶なら駅でも出来たじゃないか。同じ列車に乗るのだから、と思いはしたが口には出さず黙っておいた。

「はいはい、ハッピークリスマース。」

ハリーはめんどくさくて乱雑な返事をする。

「まだクリスマスじゃないぞ。適当な挨拶をするな、僕に失礼だろ。」

「君こそ僕に失礼だけど。」

「さて、君、クリスマスといえばプレゼントだが…」

「急な話題転換……もっと僕に気を使えよ。」

「うるさい、ハリーに気を使ったって意味ないだろ?……して君、何が欲しいんだ?」

「え?プレゼントくれるの?」

「当たり前さ!僕は礼儀知らずじゃないんでね。」

さも自分は常識人だと言わんばかりの態度でドラコがため息をついた。吐かれた息が白く細く昇る。彼の真っ赤な鼻の頭にハリーは寒さを思い出した。

爪先がじんじん冷えてきた。肩に積もった雪を払う。

「じゃあ、手紙頂戴。僕のとこ、何もない田舎だから暇なんだ。君のデイリーでも暇つぶしになる。」

「毎日手紙を寄越せと。」

「とびきり愉快なやつを頼むよ。」

「で、君は?」

「僕も手紙を出すよ、楽しいしもべ妖精とののんびりライフを事細かに書いてね。きっとドラコは羨ましくて地団駄を踏むね。」

「カントリーライフにまだ興味はないんだが。」

ハリーがニヤッと笑うとドラコが半目になる。まさかプレゼントという名目で毎日手紙を強請られると思ってなかったんだろう。ダルそうにハリーのリクエストを了承した。

「話はすんだか、早く行こうマルフォイ。ここにいたら凍る。」

二人の後ろで大人しく待っていたクラッブが痺れを切らした。いくら脂肪を蓄えていようとこの寒さには勝てないらしい。全員で馬車待ちの列に歩き出す。

最後尾に加わろうとしたら、耳障りな甲高い声が行手を阻んだ。

「あら、マルフォイ。まだ馬車に乗ってなかったのね。ここに入りなさいよ。」

パンジー・パーキンソンが列の先でドラコを呼んでいた。一緒にいるのはスリザリン生らしい。みんなドラコを呼んでいる。ハリーは彼の顔を見た。目が合う。ドラコもハリーを見ていた。

「行かないの?あっちに入れば早く乗れるよ。君、鼻の頭真っ赤だし、入れてもらえば?」

もこもこに着込んでいるハリーと違って、ドラコは細身のウールコートだけだ。風邪をひいてしまうかも知れない。

「僕が行ったら君は一人になるぞ。」

「ん、まあ慣れてるし。君が風邪引くよりいいよ。」

「……ふん。」

ドラコは動かなかった。クラッブとゴイルが恨めしそうに彼を見ている。早く馬車に乗りたかったのだろう。少し不憫だった。

クラッブとゴイルを気の毒に思いつつ、ハリーは嬉しかった。ドラコがスリザリン生より自分を優先してくれた。あまり喜んじゃいけないんだろうけど、それでも嬉しかったのだ。

しかし、こちらが納得していても、親切心を無碍にされたパンジーが大人しく引き下がるわけもなく。

列を抜けて猛然とハリーたちの方は向かってきた。あっという間に彼女はハリーの前に仁王立ちしていた。

「アンタの手はわかってんのよ。独りぼっち装ってマルフォイの同情ひいてんでしょ?そんなぶりっ子、今時サムいったらないわ。」

「は?」

突然の暴言にハリーはポカンと口を開けた。ハリーがぶりっ子なんて天と地をひっくり返ったってあり得ない。可愛い子ぶるならそもそもドラコ相手に皮肉らないし、口調も女の子らしくする。

見当違いな言いがかりにハリーはむかっ腹がたった。きっちりパンジーに向き直り、応戦する。

「何さ、振られたからって噛みつかないでよね。大体三人も横入りしたら後ろの人が嫌がるでしょ?」

腰に手を当て、はっきりと言う。女子二人の剣幕に、ドラコ達三人は思わず一歩後ずさった。

「ハイハイ、良い子ちゃんですわね?そんな風に都合の良いとこしか見ないから、マルフォイが迷惑してんのもわかんないのよ。」

「それは君の方なんじゃない?」

ハリーの一言にパンジーの眉がこれでもかと高く吊り上がる。ハリーも威勢よく鼻を鳴らした。

「なによ、やる気?」

「君がその気ならね。」

今にもお互い飛びかかりそうになった時、列の前方からパンジーを呼ぶ声がした。

「……どうせ列車じゃ独りぼっちでしょうから、今回は引いてあげるわ。優しい私に感謝なさい。」

「ありがとう、パンジー様?」

また同じだけの時間を待ちたくないパンジーはハリーを忌々しげに睨んで踵を返した。その背中にハリーはベーッと舌を出した。

「パーキンソンと気の強さで張り合うとか、君、おかしい。」

キャットファイトにビビり散らしていたドラコがようやく口を開いた。眦を決したままハリーはドラコに視線をやる。

ドラコはハリーの表情にパッと口を覆ったが失言は取り消せない。

「弱々弱気のドラコよりマシ!」

と言う大層な言葉を叩きつけられた。流石にドラコもムッとした顔をしたが、賢明にも黙ってやり過ごした。クラッブとゴイルにいたっては、小さくなってただ大人しくトランクを前にずらしているだけだった。

ようやくハリー達の番が来て、屋根のない馬車に乗り込む。

壁が風を遮らなくても、雪から足が離れた分、マシだった。トランクを隅に押し込み、座席に腰掛ける。全員が着席したのを見計らって、馬車が走り出した。

雪が砂利道を覆っているお陰で普段より振動が少ない。灰色の雲を見上げる。葉の落ち切った木々と青々とした針葉樹が立ち並んでいて奇妙な気分になる。

この広い森だったらオークに宿ったヤドリギもどこかにあるかもな、とハリーはぼんやり考えていた。クッション魔法が揺れを吸収してくれるので、駅に着くまで、快適な旅だった。

ホグワーツ特急はハリー達をキングスクロスまで素早く運んでくれた。ホームに降り立ち、紅の車体を眺める。所々雪が積もっていてクリスマスカラーだった。

「ドラコ、コチラですよ。」

一緒になって列車を眺めていたドラコに声が掛かる。

「母上、父上!」

両親が迎えに来ていたらしい。トランクを引き摺って駆けていく彼の後ろ姿を見送る。ドラコの両親は彼によく似ていた。儚げな美人の母親がドラコを抱きしめている。

ハリーに迎えはないだろう。バチルダとは約束してなかったし、ベルやクリーチャーが家を離れるとは思えない。

一人で帰れるだろうか。少し不安になった。

トランクに乗せた籠の中からホーラが這い出してハリーの手首に巻き付いた。そのままスルスルと上まで上り、定位置に収まる。

ハグリッドと途中までは電車で来たし、なんとかなるだろう。ハリーは楽観的に考えた。

「ポッター。」

低い声が真後ろから聞こえた。勢いよく振り返る。スネイプがそこに立っていた。

「せ、先生?」

なんでここにスネイプがいるのか、ハリーは理解できなかった。ホグワーツ特急に乗っていたのだろうか。

「貴様を家まで送り届けろと校長が仰せだ。ついて来い。」

スネイプは簡潔にそう言うと、ハリーを一瞥もせず歩き出した。大慌てで後を追う。トランクを乗せたカートがガタガタ煩く鳴った。

マルフォイ一家の横を通り過ぎるついでに挨拶する。

「ドラコ、また来年ね。」

「ハリー!」

風のように過ぎていったハリーをドラコが引き留めようとしていたが、スネイプについていくのに必死で聞こえなかった。ハリーの後ろでドラコが両親に、今の女の子は誰だ、と詮索を受けていたのにも、勿論気づかなかった。

9と3/4番線のゲートを抜けてマグルの世界に出る。スネイプの真っ黒い背中が、見える。頑張って追いかける。

ようやく追いついた時には息が弾んでいた。

「先生、速いです。」

「お前の速度に合わせていたら日が暮れる。」

スネイプの言い草に口を尖らせる。キングスクロスに着いたのが午後なんだからどう頑張っても家に着くのは夕方だろうに、無茶を言う。どれだけハリーが早く歩いても、日暮れ前に帰れるわけない。

「姿くらましを使えればよかったのだが、生憎吾輩は同伴者の吐瀉物まで世話したくないのでね。不服ながらマグルの方法で帰宅する。……切符だ。」

差し出された地下鉄の切符を受け取る。重いトランクを持ってえっちらおっちら階段を降りた。スネイプは自分だけサッサと降りてしまった。親切なおじさんが、トランクを下まで下ろしてくれた。お礼を言っているハリーをスネイプが早くしろとばかりに睨んでいた。

「先生、トランクを軽くする魔法かけてくださいません?」

絶対、かわりに持ってはくれないだろうから、せめてものお願いをする。

「荷物すら自分で持てないのか、嘆かわしい。精進不足だ。」

「……すみません。でも、トランクが重くて早く歩けないんです。先生も困るのでは?」

11歳の体躯でひと抱えもあるトランクを持てるものか!とハリーは思ったけど、大人しく謝る。しおらしくしていると、スネイプも思うところがあったのか、物陰で魔法をかけてくれた。

持ち手が手に食い込んで痛くなってきたからとても助かる。

ハリーは軽やかな足取りでトランクを運び、スネイプと共に地下鉄に乗り込んだ。

それからいくつか電車を乗り換え、最寄駅を通るローカル線に乗り込んだ時にはお茶の時間を超えていた。

やはり帰りは夕方だった。ガタゴト揺れる電車に乗って車窓の風景を眺める。森と畑しか無い。懐かしい景色だ。時折ぽつりぽつりと現れる家々の屋根。それがだんだんと少なくなって、アナウンスが最寄りの名を告げる。

「ここで降りろ。」

「ハイ、送ってくれてありがとうございました。先生。」

スネイプはこのまま乗って行くらしい。それともどこか手頃な場所で姿くらましをするのか。わからないけど、ホームに送り届けるまでが仕事のようだ。ハリーが電車から降りると、スネイプは車両を移動した。別の車両との間の通路で、彼は姿くらましをして消えた。

ハリーはトランクを手に、改札を出る。

日暮れが近くなっていた。空が紅に染まっている。

田舎駅を背後に、ハリーは家へ向かって歩き出す。まだトランクは軽かった。

煉瓦造りの建物が並ぶ。村の中心部だ。真っ直ぐ伸びた道を行けば、丘の上の教会に着く。左右に立ち並ぶ個人経営店はちらほらと店を閉め始めた。寒くて日の短い冬は、大体どの店もすぐ店じまいしてしまう。

どうせならバチルダのところへ挨拶して行こう、とハリーは思いついた。家に帰るまでの通り道だ。少し覗いてただいまを言うのは良い案だ。すれ違う顔見知りの老人達に挨拶しながらハリーはバチルダの家を目指した。

通りの端にあるバチルダの家は記憶通りの姿だった。ハリーはトランクを玄関の軒下に入れると、ノックをせずに中に入った。どうせなら驚かそうと足音を潜める。五歩ほどの廊下を歩き、リビングに繋がるドアに手をかけた。少し隙間が空いている。寒くないのだろうか。ハリーが首を傾げると中から話し声が聞こえてきた。……ダンブルドアとバチルダの声だ。

ビーもお茶をしに来たのだろうか。もしかしたらハリーの家まで送ってくれるかもしれない。ハリーは大喜びで部屋の中に入ろうとした。

だけど、聞こえてきた話にピタリと止まる。

「……学校に賢者の石を隠してるなんて、馬鹿なこと…」

バチルダがダンブルドアを詰っている。ピリッとした空気がハリーの肌を刺した。

二人の声音は真剣味を帯びていた。思わず息を潜めて聞き耳を立てる。

「……あなたのその癖は直すべきだわ。どんな可能性も全部考慮して、リスクを度外視するのはおよしなさい。いつか後悔するわ。」

「耳は痛いの……だがまだクィレルは動いていない。ヴォルデモートもわしの目の届く範囲では動きづらいじゃろうて。」

ハリーは自分の耳を疑った。クィレルが怪しい動きをしているのは知っている。ハロウィンの日にスネイプと戦っているのに出くわして以来、あの場にいたハリー達はクィレルのどもりは演技だと認識していた。だけど、ヴォルデモートだって?十年前にネビルが消しとばしたんじゃないのか?なんでクィレルと例のあの人が一緒くたにされてるんだろう。それに、賢者の石だって?ハリーの頭の中は疑問符でいっぱいになった。

だが、その疑問に答えてくれる人はいない。依然二人は話し続けている。ハリーも意識を話に戻した。

「まったく、全部自分で背負い込んじゃって、手が回らないのによくやるわ。現にハリーだって。」

「わかっておる。まさかあの子の因果がこんなにも複雑だとはわしも思わなんだ。」

「ええ、ええ。私もあの子にあんな呪いがかかってるなんて思いもしませんでしたよ。」

「だが、謎は解けたの。」

「解けただけじゃないですか。あの子の状況は全然良くならないわ。」

「ああ、おぞましい呪いじゃ。」

「どれだけひねくれた人がかけたんでしょうね。他人との絆を繋げない呪いなんて。」

他人との絆を繋げない呪い。ハリーは頭が痺れるのを感じた。脳味噌がギュッとスポンジみたいに絞られて、手指の感覚が消えていく。まだバチルダ達の話が続いているのに、何にも聞こえない。

真っ白な意識の中で、冷静な自分の声が響く。

僕のせいじゃなかった。僕に原因があって、友達ができないんじゃなかった。安堵と衝撃がない混ぜになって情緒がガタガタだった。

解けないのだろうか、この呪いは、ハリーはこの先永遠に、他人との絆を繋げないまま終わるのだろうか。

震える膝を無理やり動かしてドアから離れた。気配を殺して外へ走り出る。無我夢中でトランクを引っ掴み、家へ続く道を走った。

夕焼けが、丘の向こうへ沈んでいく。この時間にだけ飛んでくる真っ赤な光が、ハリーを暗闇へ追い立てた。息が切れてもハリーは走った。教会を超えて丘を下る。足の裏で砂利がはじけて、足を挫きそうだ。出発した日よりずいぶん柔らかくなっていた靴底だけど、今日は地面が固くて、痛かった。

慣れ親しんだ村から家へと帰る道なのに、長く伸びる影が、ハリーを覆って怖かった。顔の片方だけを血の色みたいな夕日が照らしてる。それもどんどん滑り落ちていって、辺りを夕闇が包んだ。

もう息を継げなくてハリーはとうとう立ち止まる。荒れる息に、喉奥から感じる血の味。膝に手をついて、ひたすら酸素を吸う。額から流れる汗を拭って顔を上げた。

家が見えた。ハリーとジェームズの二人で過ごした家が。妖精達の待つ家が見えた。並ぶ窓には柔らかなオレンジの明かりが灯り、煙突から煙が上っている。

はっと息をのむ。心臓が胸を突き破りそうなほど鼓動している。冷気が露出している顔を凍らせる。それが全部気にならないほど、ハリーは自分の家に釘付けだった。

ベルとクリーチャーがハリーを待っている。グッと強く目を閉じて、また開いた。大きく深呼吸すると、魔法が解けてずっしり重くなったトランクを持って、歩き出す。

上がった息はまだ落ち着かない。だけど、妖精達がハリーを待っているから、笑顔で帰ろう。

ハリーが呪われてたって、きっと二人は気にしない。いつも通り、ベルは笑顔で、クリーチャーは居心地が悪そうに、ハリーにおかえりと言ってくれる。

家の玄関までたどり着いた。トランクの取手をもう一度握り直す。袖で頬を撫でる。汗が洋服に染みて背中に張り付いた。

玄関のベルを押した。扉の向こうからバタバタと走ってくる音がした。ドアが大きく開き、四角い明かりがハリーを照らした。

「ただいま!!」

「おかえりなさい、お嬢様!」

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